第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴
5. 女三の宮、柏木の手紙を見る
本文 |
現代語訳 |
御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、 |
御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って上がって、 |
「この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」 |
「あの方が、このようにばかり、忘れられないといって、手紙を寄こしなさるのが面倒なことでございます。お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」 |
と、うち笑ひて聞こゆれば、 |
と、にっこりして申し上げると、 |
「いとうたてあることをも言ふかな」 |
「とても嫌なことを言うのね」 |
と、何心もなげにのたまひて、文広げたるを御覧ず。 |
と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。 |
「見もせぬ」と言ひたるところを、あさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面赤みて、大殿の、さばかりことのついでごとに、 |
「見ていない」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事を自然とお思いつかれたので、お顔が赤くなって、大殿が、あれほど何かあるごとに、 |
「大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」 |
「大将に見られたりなさらないように。子供っぽいところがおありのようだから、自然とついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」 |
と、戒めきこえたまふを思し出づるに、 |
と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、 |
「大将の、さることのありしと語りきこえたらむ時、いかにあはめたまはむ」 |
「大将が、こんなことがあったとお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」 |
と、人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ、憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける。 |
と、人が拝見なさったことをお考えにならないで、まずは、叱られることを恐がり申されるお考えとは、なんと幼稚な方よ。 |
常よりも御さしらへなければ、すさまじく、しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く。 |
いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべき事でもないから、こっそりと、いつものように書く。 |
「一日は、つれなし顔をなむ。めざましうと許しきこえざりしを、『見ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし」 |
「先日は、知らない顔をなさっていましたね。失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ないでもなかった』とは何ですか。まあ、嫌らしい」 |
と、はやりかに走り書きて、 |
と、さらさらと走り書きして、 |
「いまさらに色にな出でそ山桜 およばぬ枝に心かけきと かひなきことを」 |
「今さらお顔の色にお出しなさいますな 手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと 無駄なことですよ」 |
とあり。 |
とある。 |