第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴
4. 柏木、小侍従に手紙を送る
本文 |
現代語訳 |
督の君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細き折々あれど、 |
督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で暮らしていらっしゃっるのであった。考えるところがあって、長年このような独身生活をしてきが、誰のせいでもなく自分からもの寂しく心細い時々もあるが、 |
「わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむ」 |
「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」 |
とのみ、心おごりをするに、この夕べより屈しいたく、もの思はしくて、 |
と、ばかり自負しているが、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、 |
「いかならむ折に、またさばかりにても、ほのかなる御ありさまをだに見む。ともかくもかき紛れたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違への移ろひも軽々しきに、おのづからともかくものの隙をうかがひつくるやうもあれ」 |
「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見たいものだ。何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」 |
など思ひやる方なく、 |
などと、思いを晴らすすべもなく、 |
「深き窓のうちに、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき」 |
「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているということだけでも、お知らせ申し上げられようか」 |
と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やりたまふ。 |
と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、いつものように、手紙をおやりになる。 |
「一日、風に誘はれて、御垣の原をわけ入りてはべしに、いとどいかに見落としたまひけむ。その夕べより、乱り心地かきくらし、あやなく今日は眺め暮らしはべる」 |
「先日、誘われて、お邸に参上致しましたが、ますますどんなにかわたしをお蔑すみなさったことでしょうか。その夕方から、気分が悪くなって、わけもなく今日は物思いに沈んで暮らしております」 |
など書きて、 |
などと書いて、 |
「よそに見て折らぬ嘆きはしげれども なごり恋しき花の夕かげ」 |
「よそに見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます」 |
とあれど、侍従は一日の心も知らねば、ただ世の常の眺めにこそはと思ふ。 |
とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋煩いだろうと思う。 |