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若菜下

第二章 光る源氏の物語 住吉参詣    

6. 源氏、往時を回想     

 

本文

現代語訳

 大殿、昔のこと思し出でられ、中ごろ沈みたまひし世のありさまも、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語りたまふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひきこえたまひける。

 大殿、昔の事が思い出されて、ひところご辛労なさった当時の有様も、目の前のように思い出されなさるが、その当時の事、遠慮なく語り合える相手もいないので、致仕の大臣を、恋しくお思い申し上げなさるのであった。

 入りたまひて、二の車に忍びて、

 お入りになって、二の車に目立たないように、

 「誰れかまた心を知りて住吉の

   神代を経たる松にこと問ふ」

 「わたしの外に誰がまた昔の事情を知って住吉の

   神代からの松に話しかけたりしましょうか」

 御畳紙に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れたまひしほど、女御の君のおはせしありさまなど思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世を背きたまひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしと言忌して、

 御畳紙にお書きになっていた。尼君、感涙にむせぶ。このような時世を見るにつけても、あの明石の浦で、これが最後とお別れになった時の事、女御の君が御方のお腹に中にいらっしゃった時の様子などを思い出すにつけても、まことにもったいない運勢の程を思う。出家なさった方も恋しく、あれこれと物悲しく思われるので、一方では涙は縁起でもないと思い直して言葉を慎んで、

 「住の江をいけるかひある渚とは

   年経る尼も今日や知るらむ」

 「住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと

   年とった尼も今日知ることでしょう」

 遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。

 遅くなっては不都合だろうと、ただ思い浮かんだままにお返ししたのであった。

 「昔こそまづ忘られね住吉の

   神のしるしを見るにつけても」

 「昔の事が何よりも忘れられない

   住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても」

 と独りごちけり。

 とひとり口ずさむのであった。



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