第二章 光る源氏の物語 住吉参詣
8. 明石一族の幸い
本文 |
現代語訳 |
ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末もたどたどしきまで、酔ひ過ぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燎も影しめりたるに、なほ、「万歳、万歳」と、榊葉を取り返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや。 |
夜がほのぼのと明けて行くと、霜はいよいよ深く、本方と末方とがその分担もはっきりしなくなるほど、酔い過ぎた神楽面が、自分の顔がどんなになっているか知らないで、面白いことに夢中になって、庭燎も消えかかっているのに、依然として、「万歳、万歳」と、榊の葉を取り直し取り直して、お祝い申し上げる御末々の栄えを、想像するだけでもいよいよめでたい限りである。 |
よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜を一夜になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波にきほふも口惜しく、若き人びと思ふ。 |
万事が尽きせず面白いまま、千夜の長さをこの一夜の長さにしたいほどの今夜も、何という事もなく明けてしまったので、返る波と先を争って帰るのも残念なことと、若い人々は思う。 |
松原に、はるばると立て続けたる御車どもの、風にうちなびく下簾の隙々も、常磐の蔭に、花の錦を引き加へたると見ゆるに、袍の色々けぢめおきて、をかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ、下人などは目につきて、めでたしとは思へる。 |
松原に、遥か遠くまで立て続けた幾台ものお車が、風に靡く下簾の間々も、常磐の松の蔭に、花の錦を引き並べたように見えるが、袍の色々な色が位階の相違を見せて、趣きのある懸盤を取って、次々と食事を一同に差し上げるのを、下人などは目を見張って、立派だと思っている。 |
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表折りて、精進物を参るとて、「めざましき女の宿世かな」と、おのがじしはしりうごちけり。 |
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表を付けて、精進料理を差し上げるという事で、「驚くほどの女性のご運勢だ」と、それぞれ陰口を言ったのであった。 |
詣でたまひし道は、ことことしくて、わづらはしき神宝、さまざまに所狭げなりしを、帰さはよろづの逍遥を尽くしたまふ。言ひ続くるもうるさく、むつかしきことどもなれば。 |
御参詣なさった道中は、ものものしいことで、もてあますほどの奉納品が、いろいろと窮屈げにあったが、帰りはさまざまな物見遊山の限りをお尽くしになる。それを語り続けるのも煩わしく、厄介な事柄なので。 |
かかる御ありさまをも、かの入道の、聞かず見ぬ世にかけ離れたうべるのみなむ、飽かざりける。難きことなりかし、交じらはましも見苦しくや。世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、世の言種にて、「明石の尼君」とぞ、幸ひ人に言ひける。かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ、賽は乞ひける。 |
このようなご様子をも、あの入道が、聞こえないまた見えない山奥に離れ去ってしまわれたことだけが、不満に思われた。それも難しいことだろう、出てくるのは見苦しいことであろうよ。世の中の人は、これを例として、高望みがはやりそうな時勢のようである。万事につけて、誉め驚き、世間話の種として、「明石の尼君」と、幸福な人の例に言ったのであった。あの致仕の大殿の近江の君は、双六を打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」と言って賽を祈ったのである。 |