第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見     
2. 源氏、紫の上と和歌を唱和す   
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       本文  | 
      
       現代語訳  | 
    
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        池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、  | 
      
        池はとても涼しそうで、蓮の花が一面に咲いているところに、葉はとても青々として、露がきらきらと玉のように一面に見えるのを、  | 
    
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        「かれ見たまへ。おのれ一人も涼しげなるかな」  | 
      
        「あれを御覧なさい。自分ひとりだけ涼しそうにしているね」  | 
    
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        とのたまふに、起き上がりて見出だしたまへるも、いとめづらしければ、  | 
      
        とおっしゃると、起き上がって外を御覧になるのも、実に珍しいことなので、  | 
    
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        「かくて見たてまつるこそ、夢の心地すれ。いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」  | 
      
        「このように拝見するのさえ、夢のような気がします。ひどく、自分自身までが終わりかと思われた時がありましたよ」  | 
    
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        と、涙を浮けてのたまへば、みづからもあはれに思して、  | 
      
        と涙を浮かべておっしゃると、自分自身でも胸がいっぱいになって、  | 
    
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        「消え止まるほどやは経べきたまさかに    蓮の露のかかるばかりを」  | 
      
        「露が消え残っている間だけでも生きられましょうか    たまたま蓮の露がこうしてあるほどの命ですから」  | 
    
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        とのたまふ。  | 
      
        とおっしゃる。  | 
    
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        「契り置かむこの世ならでも蓮葉に    玉ゐる露の心隔つな」  | 
      
        「お約束しましょう、この世ばかりでなく来世に蓮の葉の上に   玉と置く露のようにいささかも心の隔てを置きなさいますな」  | 
    
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        出でたまふ方ざまはもの憂けれど、内裏にも院にも、聞こし召さむところあり、悩みたまふと聞きてもほど経ぬるを、目に近きに心を惑はしつるほど、見たてまつることもをさをさなかりつるに、かかる雲間にさへやは絶え籠もらむと、思し立ちて、渡りたまひぬ。  | 
      
        お出かけになる先は億劫であるが、帝におかれても院おかれても、お耳にあそばすこともあるので、ご病気と聞いてしばらくたっているので、目の前の病人に心を混乱させていた間、お目にかかることもほとんどなかったので、このような雲の晴れ間にまで引き籠もっていては、とお思い立ちになって、お出かけになった。  |