第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見
4. 源氏、女三の宮と和歌を唱和す
本文 |
現代語訳 |
夜さりつ方、二条の院へ渡りたまはむとて、御暇聞こえたまふ。 |
夜になってから、二条院にお帰りになろうとして、ご挨拶を申し上げなさる。 |
「ここには、けしうはあらず見えたまふを、まだいとただよはしげなりしを、見捨てたるやうに思はるるも、今さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく聞こえなす人ありとも、ゆめ心置きたまふな。今見直したまひてむ」 |
「こちらには、お具合は悪くないようにお見えですが、まだとても頼りなさそうなのを、放って置くように思われますのも、今さらお気の毒なので。悪く申す者がありましても、決してお気になさいますな。やがてきっとお分かりになりましょう」 |
と語ひたまふ。例は、なまいはけなき戯れ言なども、うちとけ聞こえたまふを、いたくしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、ただ世の恨めしき御けしきと心得たまふ。 |
とお慰めになる。いつもは、子供っぽい冗談事などを、気楽に申し上げなさるのだが、ひどく沈み込んで、ちゃんと目をお合わせ申すこともなさらないのを、ただ側にいないのを恨んでいらっしゃるのだとお思いなさる。 |
昼の御座にうち臥したまひて、御物語など聞こえたまふほどに暮れにけり。すこし大殿籠もり入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、 |
昼の御座所に横におなりになって、お話など申し上げているうちに日が暮れてしまった。少しお寝入りになってしまったが、ひぐらしが派手に鳴いたのに目をお覚ましになって、 |
「さらば、道たどたどしからぬほどに」 |
「それでは、道が暗くならない間に」 |
とて、御衣などたてまつり直す。 |
と言って、お召し物などをお召し替えになる。 |
「月待ちて、とも言ふなるものを」 |
「月を待って、と言うそうですから」 |
と、いと若やかなるさましてのたまふは、憎からずかし。「その間にも、とや思す」と、心苦しげに思して、立ち止まりたまふ。 |
と、若々しい様子でおっしゃるのはとてもいじらしい。「その間でも、とお思いなのだろうか」と、いじらしくお思いになって、お立ち止まりになる。 |
「夕露に袖濡らせとやひぐらしの 鳴くを聞く聞く起きて行くらむ」 |
「夕露に袖を濡らせというつもりで、ひぐらしが鳴くのを 聞きながら起きて行かれるのでしょうか」 |
片なりなる御心にまかせて言ひ出でたまへるもらうたければ、ついゐて、 |
子供のようなあどけないままにおっしゃったのもかわいらしいので、膝をついて、 |
「あな、苦しや」 |
「ああ、困りましたこと」 |
と、うち嘆きたまふ。 |
と、溜息をおつきになる。 |
「待つ里もいかが聞くらむ方がたに 心騒がすひぐらしの声」 |
「わたしを待っているほうでもどのように聞いているでしょうか それぞれに心を騒がすひぐらしの声ですね」 |
など思しやすらひて、なほ情けなからむも心苦しければ、止まりたまひぬ。静心なく、さすがに眺められたまひて、御くだものばかり参りなどして、大殿籠もりぬ。 |
などとご躊躇なさって、やはり無情に帰るのもお気の毒なので、お泊まりになった。心は落ち着かず、そうは言っても物思いにお耽りになって、果物類だけを召し上がりなどなさって、お寝みになった。 |