第二章 夕霧の物語 柏木遺愛の笛
4. 御息所、夕霧に横笛を贈る
本文 |
現代語訳 |
「今宵の御好きには、人許しきこえつべくなむありける。そこはかとなきいにしへ語りにのみ紛らはさせたまひて、玉の緒にせむ心地もしはべらぬ、残り多くなむ」 |
「今夜の風流なお振る舞いについては、誰もがお許し申すはずのことでございます。これということもない昔話にばかり紛らわせなさって、寿命が延びるまでお聞かせ下さらなかったのが、とても残念です」 |
とて、御贈り物に笛を添へてたてまつりたまふ。 |
と言って、御贈り物に笛を添えて差し上げなさる。 |
「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおきはべりしを、かかる蓬生に埋もるるもあはれに見たまふるを、御前駆に競はむ声なむ、よそながらもいぶかしうはべる」 |
「この笛には、実に古い由緒もあるように聞いておりましたが、このような蓬生の宿に埋もれているのは残念に存じまして、御前駆の負けないほどにお吹き下さる音色を、ここからでもお伺いしたく存じます」 |
と聞こえたまへば、 |
と申し上げなさると、 |
「似つかはしからぬ随身にこそははべるべけれ」 |
「似つかわしくない随身でございましょう」 |
とて、見たまふに、これもげに世とともに身に添へてもてあそびつつ、 |
とおっしゃって、御覧になると、この笛もなるほど肌身離さず愛玩しては、 |
「みづからも、さらにこれが音の限りは、え吹きとほさず。思はむ人にいかで伝へてしがな」 |
「自分でも、まったくこの笛の音のあらん限りは、吹きこなせない。大事にしてくれる人に何とか伝えたいものだ」 |
と、をりをり聞こえごちたまひしを思ひ出でたまふに、今すこしあはれ多く添ひて、試みに吹き鳴らす。盤渉調の半らばかり吹きさして、 |
と、柏木が時々愚痴をこぼしていらっしゃったのをお思い出しなさると、さらに悲しみが胸に迫って、試みに吹いてみる。盤渉調の半分ばかりでお止めになって、 |
「昔を偲ぶ独り言は、さても罪許されはべりけり。これはまばゆくなむ」 |
「故人を偲んで和琴を独り弾きましたのは、下手でも何とか聞いて戴けました。この笛はとても分不相応です」 |
とて、出でたまふに、 |
と言って、お出になるので、 |
「露しげきむぐらの宿にいにしへの 秋に変はらぬ虫の声かな」 |
「涙にくれていますこの荒れた家に昔の 秋と変わらない笛の音を聞かせて戴きました」 |
と、聞こえ出だしたまへり。 |
と、内側から申し上げなさった。 |
「横笛の調べはことに変はらぬを むなしくなりし音こそ尽きせね」 |
「横笛の音色は特別昔と変わりませんが 亡くなった人を悼む泣き声は尽きません」 |
出でがてにやすらひたまふに、夜もいたく更けにけり。 |
出て行きかねていらっしゃると、夜もたいそう更けてしまった。 |