第二章 落葉宮の物語 律師の告げ口
4. 落葉宮、母御息所のもとに参る
本文 |
現代語訳 |
渡りたまはむとて、御額髪の濡れまろがれたる、ひきつくろひ、単衣の御衣ほころびたる、着替へなどしたまひても、とみにもえ動いたまはず。 |
お越しになろうとして、額髪が濡れて固まっている、繕い直し、単重のお召し物が綻びているが、着替えなどなさっても、すぐにはお動きになれない。 |
「この人びともいかに思ふらむ。まだえ知りたまはで、後にいささかも聞きたまふことあらむに、つれなくてありしよ」 |
「この女房たちもどのように思っているだろう。まだご存知なくて、後に少しでもお聞きになることがあったとき、素知らぬ顔をしていたよ」 |
と思しあはせむも、いみじう恥づかしければ、また臥したまひぬ。 |
とお思い当たられるのも、ひどく恥ずかしいので、再び臥せっておしまいになった。 |
「心地のいみじう悩ましきかな。やがて直らぬさまにもありなむ、いとめやすかりぬべくこそ。脚の気の上りたる心地す」 |
「気分がひどく悩ましいわ。このまま治らなくなったら、とてもいい都合だろう。脚の気が上がった気がする」 |
と、押し下させたまふ。ものをいと苦しう、さまざまに思すには、気ぞ上がりける。 |
と、脚を指圧させなさる。心配事をとてもつらく、あれこれ気にしていらっしゃる時には、気が上がるのであった。 |
少将、 |
小少将の君は、 |
「上に、この御ことほのめかし聞こえける人こそはべけれ。いかなりしことぞ、と問はせたまひつれば、ありのままに聞こえさせて、御障子の固めばかりをなむ、すこしこと添へて、けざやかに聞こえさせつる。もし、さやうにかすめきこえさせたまはば、同じさまに聞こえさせたまへ」 |
「母上に、あの御事をそれとなく申し上げた人がいたようでございます。どのような事であったのかと、お尋ねあそばしたので、ありのままに申し上げて、御襖障子の掛金の点だけを、少し誇張して、はっきりと申し上げました。もし、そのように何かお尋ねなさいましたら、同じように申し上げなさいまし」 |
と申す。 |
と申し上げる。 |
嘆いたまへるけしきは聞こえ出でず。「さればよ」と、いとわびしくて、ものものたまはぬ御枕より、雫ぞ落つる。 |
お嘆きでいらっしゃる様子は申し上げない。「やはりそうであったか」と、とても悲しくて、何もおっしゃらない御枕もとから涙の雫がこぼれる。 |
「このことにのみもあらず、身の思はずになりそめしより、いみじうものをのみ思はせたてまつること」 |
「このことだけでない、不本意な結婚をして以来、ひどくご心配をお掛け申していることよ」 |
と、生けるかひなく思ひ続けたまひて、「この人は、かうても止まで、とかく言ひかかづらひ出でむも、わづらはしう、聞き苦しかるべう」、よろづに思す。「まいて、いふかひなく、人の言によりて、いかなる名を朽たさまし」 |
と、生きている甲斐もなくお思い続けなさって、「この方は、このまま引き下がることはなく、何かと言い寄ってくることも、厄介で聞き苦しいだろう」と、いろいろとお悩みになる。「まして、言いようもなく、相手の言葉に従ったらどんなに評判を落とすことになるだろう」 |
など、すこし思し慰むる方はあれど、「かばかりになりぬる高き人の、かくまでも、すずろに人に見ゆるやうはあらじかし」と、宿世憂く思し屈して、夕つ方ぞ、 |
などと、多少はお気持ちの慰められる面もあるが、「内親王ほどにもなった高貴な人が、こんなにまでも、うかうかと男と会ってよいものであろうか」と、わが身の不運を悲しんで、夕方に、 |
「なほ、渡らせたまへ」 |
「やはり、お出で下さい」 |
とあれば、中の塗籠の戸開けあはせて、渡りたまへる。 |
とあるので、中の塗籠の戸を両方を開けて、お越しになった。 |