第三章 一条御息所の物語 行き違いの不幸
6. 御息所死去す
本文 |
現代語訳 |
いとわりなくおしこめてのたまふを、あらがひはるけむ言の葉もなくて、ただうち泣きたまへるさま、おほどかにらうたげなり。うちまもりつつ、 |
ほんとうにどうしようもなく独りぎめにしておっしゃるので、抗弁して申し開きをする言葉もなくて、ただ泣いていらっしゃる様子、おっとりとしていじらしい。じっと見つめながら、 |
「あはれ、何ごとかは、人に劣りたまへる。いかなる御宿世にて、やすからず、ものを深く思すべき契り深かりけむ」 |
「ああ、どこが、人に劣っていらっしゃろうか。どのようなご運命で、心も安まらず、物思いなさらなければならない因縁が深かったのでしょう」 |
などのたまふままに、いみじう苦しうしたまふ。もののけなども、かかる弱目に所得るものなりければ、にはかに消え入りて、ただ冷えに冷え入りたまふ。律師も騷ぎたちたまうて、願など立てののしりたまふ。 |
などとおっしゃるうちに、ひどくお苦しみになる。物の怪などが、このような弱り目につけ込んで勢いづくものだから、急に息も途絶えて、見る見るうちに冷たくなっていかれる。律師も騷ぎ出しなさって、願などを立てて大声でお祈りなさる。 |
深き誓ひにて、今は命を限りける山籠もりを、かくまでおぼろけならず出で立ちて、壇こぼちて帰り入らむことの、面目なく、仏もつらくおぼえたまふべきことを、心を起こして祈り申したまふ。宮の泣き惑ひたまふこと、いとことわりなりかし。 |
深い誓いを立てて、命果てるまでと決心した山籠もりを、こんなにまで並々の思いでなく出てきて、壇を壊して退出することが、面目なくて、仏も恨めしく思わずいはいらっしゃれない趣旨を、一心不乱にお祈り申し上げなさる。宮が泣き取り乱していらっしゃること、まことに無理もないことではある。 |
かく騒ぐほどに、大将殿より御文取り入れたる、ほのかに聞きたまひて、今宵もおはすまじきなめり、とうち聞きたまふ。 |
このように騒いでいる最中に、大将殿からお手紙を受け取ったと、かすかにお聞きになって、今夜もいらっしゃらないらしい、とお聞きになる。 |
「心憂く。世のためしにも引かれたまふべきなめり。何に我さへさる言の葉を残しけむ」 |
「情けない。世間の話の種にも引かれるに違いない。どうして自分まであのような和歌を残したのだろう」 |
と、さまざま思し出づるに、やがて絶え入りたまひぬ。あへなくいみじと言へばおろかなり。昔より、もののけには時々患ひたまふ。限りと見ゆる折々もあれば、「例のごと取り入れたるなめり」とて、加持参り騒げど、今はのさま、しるかりけり。 |
と、あれこれとお思い出しなさると、そのまま息絶えてしまわれた。あっけなく情けないことだと言っても言い足りない。昔から、物の怪には時々お患いになさる。最期と見えた時々もあったので、「いつものように物の怪が取り入ったのだろう」と考えて、加持をして大声で祈ったが、臨終の様子は、明らかであったのだ。 |
宮は、後れじと思し入りて、つと添ひ臥したまへり。人びと参りて、 |
宮は、一緒に死にたいとお悲しみに沈んで、ぴったりと添い臥していらっしゃった。女房たちが参って、 |
「今は、いふかひなし。いとかう思すとも、限りある道は、帰りおはすべきことにもあらず。慕ひきこえたまふとも、いかでか御心にはかなふべき」 |
「もう、何ともしかたありません。まことこのようにお悲しみになっても、定められた運命の道は、引き返すことはできるものでありません。お慕い申されようとも、どうしてお思いどおりになりましょう」 |
と、さらなることわりを聞こえて、 |
と、言うまでもない道理を申し上げて、 |
「いとゆゆしう。亡き御ためにも、罪深きわざなり。今は去らせたまへ」 |
「とても不吉です。亡くなったお方にとっても、罪深いことです。もうお離れなさいまし」 |
と、引き動かいたてまつれど、すくみたるやうにて、ものもおぼえたまはず。 |
と、引き動かし申し上げるが、身体もこわばったようで、何もお分かりにならない。 |
修法の壇こぼちて、ほろほろと出づるに、さるべき限り、片へこそ立ちとまれ、今は限りのさま、いと悲しう心細し。 |
修法の壇を壊して、ばらばらと出て行くので、しかるべき僧たちだけ、一部の者が残ったが、今は全てが終わった様子、まことに悲しく心細い。 |