第五章 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る
1. 源氏や紫の上らの心配
本文 |
現代語訳 |
六条院にも聞こし召して、いとおとなしうよろづを思ひしづめ、人のそしりどころなく、めやすくて過ぐしたまふを、おもだたしう、わがいにしへ、すこしあざればみ、あだなる名を取りたまうし面起こしに、うれしう思しわたるを、 |
六条院にもお聞きあそばして、とても落ち着いていて何につけ冷静で、人の非難もなく、無難に過ごしていらっしゃるのを、誇りに思い、自分の若いころ、少し風流すぎて、好色家だという評判をおとりになった名誉回復に、嬉しくお思い続けていらしたが、 |
「いとほしう、いづ方にも心苦しきことのあるべきこと。さし離れたる仲らひにてだにあらで、大臣なども、いかに思ひたまはむ。さばかりのこと、たどらぬにはあらじ。宿世といふもの、逃れわびぬることなり。ともかくも口入るべきことならず」 |
「かわいそうに、どちらにとってもお気の毒なことがきっとあるだろうことよ。赤の他人の間でさえなく、大臣なども、どのようにお思いになろうか。それくらいのこと、分からないではないだろう。宿世というものからは、逃れられないのだ。とやかく口を出すべきことではない」 |
と思す。女のためのみにこそ、いづ方にもいとほしけれと、あいなく聞こしめし嘆く。 |
とお思いになる。女の身にとっては、どちらに対してもお気の毒だと、困った事にお聞きあそばしてお心をお痛めになる。 |
紫の上にも、来し方行く先のこと思し出でつつ、かうやうのためしを聞くにつけても、亡からむ後、うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば、御顔うち赤めて、「心憂く、さまで後らかしたまふべきにや」と思したり。 |
紫の上に対しても、今までのことや将来のことをお考えになりながら、このような噂を聞くにつけても、亡くなった後、不安にお思い申し上げる様子をおっしゃると、お顔をぽっと赤らめて、「情けないこと。そんなに長く後にお残しなさるおつもりか」とお思いになっていた。 |
「女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、折をかしきことをも、見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、何につけてか、世に経る映えばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。 |
「女ほど、身の処し方も窮屈で、痛ましいものはない。ものの情趣も、折にふれた興趣深いことも、見知らないふうに身を引いて黙ってなどいては、いったい何によって、この世に生きている晴れがましさを味わい、無常なこの世の所在なさをも慰めることができよう。 |
おほかた、ものの心を知らず、いふかひなきものにならひたらむも、生ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや。 |
だいたい、ものの道理も弁えないで、つまらない者のようになってしまったのでは、育てた親も、とても残念に思うはずではないか。 |
心にのみ籠めて、無言太子とか、小法師ばらの悲しきことにする昔のたとひのやうに、悪しきこと善きことを思ひ知りながら、埋もれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、良きほどには、いかで保つべきぞ」 |
心の中にばかり思いをこめて、無言太子とか言って、小法師たちが辛い修行の例とする昔の喩えのように、悪い事良い事を弁えながら、口に出さずにいるのは、つまらない。自分ながらも、ほど好い身の処し方をするには、どのようにしたらよいものか」 |
と思しめぐらすも、今はただ女一の宮の御ためなり。 |
とご思案なさるのも、今はただ女一の宮の御身のためを思ってのことである。 |