第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格
4. 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う
本文 |
現代語訳 |
かく、いとあやしきまで人のとがむる香にしみたまへるを、兵部卿宮なむ、異事よりも挑ましく思して、それは、わざとよろづのすぐれたる移しをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。 |
このように、まことに不思議なまで人が気のつく薫りに染まっていらっしゃるのを、兵部卿宮は、他のことよりも競争心をお持ちになって、それは、特別にいろいろの優れたのをたきしめなさり、朝夕の仕事として香を合わせるのに熱心で、お庭先の植え込みでも、春は梅の花園を眺めなさり、秋は世間の人が愛する女郎花や、小牡鹿が妻とするような萩の露にも、少しもお心を移しなさらず、老を忘れる菊に、衰えゆく藤袴、何の取柄もないわれもこうなどは、とても見るに堪えない霜枯れのころまでお忘れにならないなどというふうに、ことさらめいて、香を愛する思いを、取り立てて好んでいらっしゃるのであった。 |
かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、好いたる方に引かれたまへりと、世の人は思ひきこえたり。昔の源氏は、すべて、かく立ててそのことと、やう変り、しみたまへる方ぞなかりしかし。 |
こうしていることに、少し弱く優し過ぎて、風流な方面に傾いていらしゃると、世間の人はお思い申していた。昔の源氏は、総じて、このように一つに事を取り立てて、異様なふうに、熱中なさることはなかったものである。 |
源中将、この宮には常に参りつつ、御遊びなどにも、きしろふものの音を吹き立て、げに挑ましくも、若きどち思ひ交はしたまうつべき人ざまになむ。例の、世人は、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と、聞きにくく言ひ続けて、そのころ、よき女おはする、やうごとなき所々は、心ときめきに、聞こえごちなどしたまふもあれば、宮は、さまざまに、をかしうもありぬべきわたりをばのたまひ寄りて、人の御けはひ、ありさまをもけしきとりたまふ。わざと御心につけて思す方は、ことになかりけり。 |
源中将は、この宮にはいつも参上しては、お遊びなどにも、張り合う笛の音色を吹き立てて、いかにも競争者として、若い者同士が好意をお持ちになっているようなご様子である。例によって、世間の人は、「匂う兵部卿、薫る中将」と、聞きずらいほど言い立てて、その当時に、良い娘がいらっしゃる、高貴な所々では、心をときめかして、婿にと申し出たりなさる人もあるので、宮は、あれこれと、興味の惹かれそうな所にはお言葉をお掛けになって、相手のお人柄、ご様子をもお窺いになる。特別のご熱心にお思いになる方は、格別いないのであった。 |
「冷泉院の女一の宮をぞ、さやうにても見たてまつらばや。かひありなむかし」と思したるは、母女御もいと重く、心にくくものしたまふあたりにて、姫宮の御けはひ、げに、いとありがたくすぐれて、よその聞こえもおはしますに、まして、すこし近くもさぶらひ馴れたる女房などの、くはしき御ありさまの、ことに触れて聞こえ伝ふるなどもあるに、いとど忍びがたく思すべかめり。 |
「冷泉院の女一の宮を、結婚して一緒に暮らしてみたいものだ。きっとその甲斐はあるだろう」とお思いになっているのは、母女御もとても重々しくて、奥ゆかしくいらっしゃる所であり、姫宮のご様子は、なるほどと、めったにないくらい素晴らしくて、世間の評判も高くいらっしゃるうえに、それ以上に、少し近くに伺候し馴れている女房などが、詳しいご様子などを、何かの機会にふれてお耳に入れることなどもあるので、ますます我慢できなくお思いのようである。 |