第二章 玉鬘邸の物語 梅と桜の季節の物語
4. 得意の薫君と嘆きの蔵人少将
本文 |
現代語訳 |
少将も、声いとおもしろうて、「さき草」謡ふ。さかしら心つきて、うち過ぐしたる人もまじらねば、おのづからかたみにもよほされて遊びたまふに、主人の侍従は、故大臣に似たてまつりたまへるにや、かやうの方は後れて、盃をのみすすむれば、「寿詞をだにせむや」と、恥づかしめられて、「竹河」を同じ声に出だして、まだ若けれど、をかしう謡ふ。簾のうちより土器さし出づ。 |
少将も、声がとても美しくて、「さき草」を謡う。おせっかいな分別者で、出過ぎた女房もいないので、自然とお互いに気がはずんで合奏なさるが、この家の侍従は、故大臣にお似通い申しているのであろうか、このような方面は苦手で、盃ばかり傾けているので、「せめて祝い歌ぐらい謡えよ」と、文句を言われて、「竹河」を一緒に声を出して、まだ若いけれど美しく謡う。御簾の内側から盃を差し出す。 |
「酔のすすみては、忍ぶることもつつまれず。ひがことするわざとこそ聞きはべれ。いかにもてないたまふぞ」 |
「酔いが回っては、心に秘めていることも隠しておくことができません。詰まらないことを口にすると聞いております。どうなさるおつもりですか」 |
と、とみにうけひかず。小袿重なりたる細長の、人香なつかしう染みたるを、取りあへたるままに、被けたまふ。「何ぞもぞ」などさうどきて、侍従は、主人の君にうち被けて去ぬ。引きとどめて被くれど、「水駅にて夜更けにけり」とて、逃げにけり。 |
と、すぐには手にしない。小袿の重なった細長で、人の香がやさしく染みているのを、あり合わせのままに、お与えになる。「これはどういうおつもりですか」などとはしゃいで、侍従は、お邸の君に与えて出て行った。ひき止めて与えたが、「水駅で夜が更けてしまいました」と言って、逃げて行ってしまった。 |
少将は、「この源侍従の君のかうほのめき寄るめれば、皆人これにこそ心寄せたまふらめ。わが身は、いとど屈じいたく思ひ弱りて」、あぢきなうぞ恨むる。 |
少将は、「この源侍従の君がこのように出入りしているようなので、こちらの方々は皆あの君に好意を寄せていらっしゃるだろう。わが身はますます塞ぎ込み元気をなくして」、つまらなく恨むのだった。 |
「人はみな花に心を移すらむ 一人ぞ惑ふ春の夜の闇」 |
「人はみな花に心を寄せているのでしょうが わたし一人は迷っております、春の夜の闇の中で」 |
うち嘆きて立てば、内の人の返し、 |
ため息をついて座を立つと、内側にいる女房の返し、 |
「をりからやあはれも知らむ梅の花 ただ香ばかりに移りしもせじ」 |
「時と場合によって心を寄せるものです ただ梅の花の香りだけにこうも引かれるものではありません」 |
朝に、四位侍従のもとより、主人の侍従のもとに、 |
朝に、四位侍従のもとから、邸の侍従のもとに、 |
「昨夜は、いと乱りがはしかりしを、人びといかに見たまひけむ」 |
「昨夜は、とても酔っぱらったようだが、皆様はどのように御覧になったであろうか」 |
と、見たまへとおぼしう、仮名がちに書きて、 |
と、御覧下さいとのおつもりで、仮名がちに書いて、 |
「竹河の橋うちいでし一節に 深き心の底は知りきや」 |
「竹河の歌を謡ったあの文句の一端から わたしの深い心のうちを知っていただけましたか」 |
と書きたり。寝殿に持て参りて、これかれ見たまふ。 |
と書いてある。寝殿に持って上がって、いろんな方々が御覧になる。 |
「手なども、いとをかしうもあるかな。いかなる人、今よりかくととのひたらむ。幼くて、院にも後れたてまつり、母宮のしどけなう生ほし立てたまへれど、なほ人にはまさるべきにこそあめれ」 |
「筆跡なども、とても美しく書いてありますね。どのような人が、今からこのように整っているのでしょう。幼いころ、院に先立たれ申し、母宮がしまりもなくお育て申されたが、やはり人より優れているのでしょう」 |
とて、尚侍の君は、この君たちの、手など悪しきことを恥づかしめたまふ。返りこと、げに、いと若く、 |
と言って、尚侍の君は、自分の子供たちの、字などが下手なことをお叱りになる。返事は、なるほど、たいそう未熟な字で、 |
「昨夜は、水駅をなむ、とがめきこゆめりし。 |
「昨夜は、水駅とおっしゃってお帰りになったことを、いかがなものかと申しておりました。 |
竹河に夜を更かさじといそぎしも いかなる節を思ひおかまし」 |
竹河を謡って夜を更かすまいと急いでいらっしゃったのも どのようなことを心に止めておけばよいのでしょう」 |
げに、この節をはじめにて、この君の御曹司におはして、けしきばみ寄る。少将の推し量りしもしるく、皆人心寄せたり。侍従の君も、若き心地に、近きゆかりにて、明け暮れ睦びまほしう思ひけり。 |
なるほど、この事件をきっかけとして、この君のお部屋にいらっしゃって、気のある態度で振る舞う。少将が予想していた通り、誰もが好意を寄せていた。侍従の君も、子供心に、近い縁者として、明け暮れ親しくしたいと思うのであった。 |