TOP  総目次  源氏物語目次   前へ 次へ
総角

第一章 大君の物語 薫と大君の実事なき暁の別れ   

5. 薫、大君の寝所に迫る   

 

本文

現代語訳

 今宵は泊りたまひて、物語などのどやかに聞こえまほしくて、やすらひ暮らしたまひつ。あざやかならず、もの怨みがちなる御けしき、やうやうわりなくなりゆけば、わづらはしくて、うちとけて聞こえたまはむことも、いよいよ苦しけれど、おほかたにてはありがたくあはれなる人の御心なれば、こよなくももてなしがたくて、対面したまふ。

 今夜はお泊まりになって、お話などをのんびりと申し上げたくて、ぐずぐずして日をお暮らしになった。はっきりとではないが、何か恨みがましいご様子、だんだんと無性に昂じて行くので、厄介になって、気を許してお話し申し上げることも、ますますつらいけれど、全体的にはめったにいない親切なご性格の方なので、ひどくすげないお扱いもできなくて、面会なさる。

 仏のおはする中の戸を開けて、御燈明の火けざやかにかかげさせて、簾に屏風を添へてぞおはする。外にも大殿油参らすれど、「悩ましうて無礼なるを。あらはに」など諌めて、かたはら臥したまへり。御くだものなど、わざとはなくしなして参らせたまへり。

 仏のいらっしゃる間の中の戸を開けて、御燈明の光を明るく照らさせて、簾に屏風を添えておいでになる。外の間にも大殿油を差し上げるが、「疲れて無作法なので。丸見えでは」などと制止して、横に臥せっていらっしゃった。果物などを、特別なふうにではなく整えて差し上げさせなさった。

 御供の人びとにも、ゆゑゆゑしき肴などして出ださせたまへり。廊めいたる方に集まりて、この御前は人げ遠くもてなして、しめじめと物語聞こえたまふ。うちとくべくもあらぬものから、なつかしげに愛敬づきて、もののたまへるさまの、なのめならず心に入りて、思ひ焦らるるもはかなし。

 お供の人びとにも、風流なお肴などをお出させなさった。廊のような所に集まって、こちらの御前は人の気配を遠ざけて、しみじみとお話申し上げなさる。気をお許しになるはずもないものの、優しそうに愛嬌がおありで、物をおっしゃる様子が、一方ならず心に染みいって、胸が切なくなるのもたわいない。

 「かくほどもなきものの隔てばかりを障り所にて、おぼつかなく思ひつつ過ぐす心おそさの、あまりをこがましくもあるかな」と思ひ続けらるれど、つれなくて、おほかたの世の中のことども、あはれにもをかしくも、さまざま聞き所多く語らひきこえたまふ。

 「このように何でもない隔て物だけを障害にして、もどかしく思っては過ごしてきた不器用さが、あまりにも馬鹿らしいな」と思い続けられるが、さりげなく平静を装って、世間一般の事柄を、しみじみと興味を惹くように、いろいろとおもしろくたくさんお話し申し上げなさる。

 内には、「人びと、近く」などのたまひおきつれど、「さしも、もて離れたまはざらなむ」と思ふべかめれば、いとしも護りきこえず、さし退つつ、みな寄り臥して、仏の御燈火もかかぐる人もなし。ものむつかしくて、忍びて人召せど、おどろかず。

 内側では、「女房たち、近くに」などとおっしゃっておいたが、「そんなにも、よそよそしくなさらないで欲しい」と思っているようなので、たいしてお守り申さず、尻ごみ尻ごみしながら、皆寄り臥して、仏の御燈明を明るくする人もいない。何となく気づまりで、こっそりと人をお呼びになるが、目を覚まさない。

 「心地のかき乱り、悩ましくはべるを、ためらひて、暁方にもまた聞こえむ」

 「気分が悪く、苦しうございますので、少し休んで、明け方に再びお話し申し上げましょう」

 とて、入りたまひなむとするけしきなり。

 と言って、お入りになろうとする様子である。

 「山路分けはべりつる人は、ましていと苦しけれど、かく聞こえ承るに慰めてこそはべれ。うち捨てて入らせたまひなば、いと心細からむ」

 「山路を分け入って来ましたわたしは、あなた以上にとても苦しいのですが、このようにお話し申し上げたりお聞きしたりすることによって慰められております。わたしを捨ててお入りになったら、たいそう心細いでしょう」

 とて、屏風をやをら押し開けて入りたまひぬ。いとむくつけくて、半らばかり入りたまへるに、引きとどめられて、いみじくねたく心憂ければ、

 と言って、屏風を静かに押し開けてお入りになった。たいそう気味悪くて、半分程お入りになったところ、引き止められて、ひどく悔しく気にくわないので、

 「隔てなきとは、かかるをや言ふらむ。めづらかなるわざかな」

 「隔てなくとは、このようなことを言うのでしょうか。変なことですね」

 と、あはめたまへるさまの、いよいよをかしければ、

 と、非難なさる様子が、ますます魅力的なので、

 「隔てぬ心をさらに思し分かねば、聞こえ知らせむとぞかし。めづらかなりとも、いかなる方に、思しよるにかはあらむ。仏の御前にて誓言も立てはべらむ。うたて、な懼ぢたまひそ。御心破らじと思ひそめてはべれば。人はかくしも推し量り思ふまじかめれど、世に違へる痴者にて過ぐしはべるぞや」

 「隔てない心を全然お分かりでないので、お教え申し上げましょうとね。変なことだとも、どのようなことに、お考えなのでしょうか。仏の御前で誓言も立てましょう。嫌な、お恐がりなさるな。お気持ちを損ねまいと初めから思っておりますので。他人はこのようにも推量して思うまいでしょうが、世間の人と違った馬鹿正直者で通しておりますからね」

 とて、心にくきほどなる火影に、御髪のこぼれかかりたるを、かきやりつつ見たまへば、人の御けはひ、思ふやうに香りをかしげなり。

 と言って、奥ゆかしいほどの火影で、御髪がこぼれかかっているのを、掻きやりながら御覧になると、姫君のご様子は、申し分なくつやつやと美しい。



TOP  総目次  源氏物語目次 ページトップへ  前へ 次へ