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総角

第一章 大君の物語 薫と大君の実事なき暁の別れ   

6. 薫、大君をかき口説く   

 

本文

現代語訳

 「かく心細くあさましき御住み処に、好いたらむ人は障り所あるまじげなるを、我ならで尋ね来る人もあらましかば、さてや止みなまし。いかに口惜しきわざならまし」と、来し方の心のやすらひさへ、あやふくおぼえたまへど、言ふかひなく憂しと思ひて泣きたまふ御けしきの、いといとほしければ、「かくはあらで、おのづから心ゆるびしたまふ折もありなむ」と思ひわたる。

 「このように心細くひどいお住まいで、好色の男は邪魔者もないのだが、自分以外に訪ねて来る人もあったら、そのままにしておくだろうか。どんなに残念なことだろうに」と、将来はもちろんのこと今までの優柔不断さまで、不安に思われなさるが、言いようもなくつらいと思ってお泣きになるご様子が、たいそうおいたわしいので、「このようにではなく、自然と心がとけてこられる時もきっとあるだろう」と思い続ける。

 わりなきやうなるも心苦しくて、さまよくこしらへきこえたまふ。

 無理やり迫るのも気の毒なので、体裁よくおなだめ申し上げなさる。

 「かかる御心のほどを思ひよらで、あやしきまで聞こえ馴れにたるを、ゆゆしき袖の色など、見あらはしたまふ心浅さに、みづからの言ふかひなさも思ひ知らるるに、さまざま慰む方なく」

 「このようなお気持ちとは思いよらず、不思議なほど親しくさせて頂いたことを、不吉な喪服の色など、見ておしまいになられる思いやりの浅さに、また自分自身の言いようのなさも思い知らされるので、あれこれと気の慰めようもありません」

 と恨みて、何心もなくやつれたまへる墨染の火影を、いとはしたなくわびしと思ひ惑ひたまへり。

 と恨んで、何の用意もなく質素な喪服でいらっしゃる墨染の火影を、とても体裁悪くつらいと困惑していらっしゃった。

 「いとかくしも思さるるやうこそはと、恥づかしきに、聞こえむ方なし。袖の色をひきかけさせたまふはしも、ことわりなれど、ここら御覧じなれぬる心ざしのしるしには、さばかりの忌おくべく、今始めたることめきてやは思さるべき。なかなかなる御わきまへ心になむ」

 「まことにこのようにまでお嫌いになるわけもあるのかと、恥ずかしくて、申し上げようもありません。喪服の色を理由になさるのも、もっともなことですが、長年お親しみなさったお気持ちの表れとしては、そのような憚らねばならないような、今始まったような事のようにお思いなさってよいものでしょうか。かえってなさらなくてもよいご分別です」

 とて、かの物の音聞きし有明の月影よりはじめて、折々の思ふ心の忍びがたくなりゆくさまを、いと多く聞こえたまふに、「恥づかしくもありけるかな」と疎ましく、「かかる心ばへながらつれなくまめだちたまひけるかな」と、聞きたまふこと多かり。

 と言って、あの琴の音を聴いた有明の月の光をはじめとして、季節折々の思う心の堪えがたくなってゆく有様を、たいそうたくさん申し上げなさると、「気恥ずかしいことだわ」と疎ましく思って、「このような気持ちでありながら何喰わぬ顔で真面目顔していらっしゃったのだわ」と、お聞きになることが多かった。

 御かたはらなる短き几帳を、仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。名香のいと香ばしく匂ひて、樒のいとはなやかに薫れるけはひも、人よりはけに仏をも思ひきこえたまへる御心にて、わづらはしく、「墨染の今さらに、折ふし心焦られしたるやうに、あはあはしく、思ひそめしに違ふべければ、かかる忌なからむほどに、この御心にも、さりともすこしたわみたまひなむ」など、せめてのどかに思ひなしたまふ。

 お側にある低い几帳を、仏の方に立てて隔てとして、形ばかり添い臥しなさった。名香がたいそう香ばしく匂って、樒がとても強く薫っている様子につけても、人よりは格別に仏を信仰申し上げていらっしゃるお心なので、気が咎めて、「服喪中の今、折もあろうに堪え性もないようで、軽率にも、当初の気持ちと違ってしまいそうなので、このような喪中が明けたころに、姫君のお気持ちも、そうはいっても少しはお緩みになるだろう」などと、つとめて気長に思いなしなさる。

 秋の夜のけはひは、かからぬ所だに、おのづからあはれ多かるを、まして峰の嵐も籬の虫も、心細げにのみ聞きわたさる。常なき世の御物語に、時々さしいらへたまへるさま、いと見所多くめやすし。いぎたなかりつる人びとは、「かうなりけり」と、けしきとりてみな入りぬ。

 秋の夜の様子は、このような場所でなくてさえ、自然としみじみとしたことが多いのに、まして峰の嵐も籬の虫の音も、心細そうにばかり聞きわたされる。無常の世のお話に、時々お返事なさる様子、実に見ごたえのある点が多く無難である。眠たそうにしていた女房たちは、「こうなったのだわ」と、様子を察して皆下がってしまった。

 宮ののたまひしさまなど思し出づるに、「げに、ながらへば、心の外にかくあるまじきことも見るべきわざにこそは」と、もののみ悲しくて、水の音に流れ添ふ心地したまふ。

 父宮がご遺言なさったことなどをお思い出しなさると、「なるほど、生き永らえると、意外なこのようなとんでもない目に遭うものだわ」と、何もかも悲しくて、水の音に流れ添う心地がなさる。



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