第六章 大君の物語 大君の病気と薫の看護
1. 薫、大君の病気を知る
本文 |
現代語訳 |
待ちきこえたまふ所は、絶え間遠き心地して、「なほ、かくなめり」と、心細く眺めたまふに、中納言おはしたり。悩ましげにしたまふと聞きて、御とぶらひなりけり。いと心地惑ふばかりの御悩みにもあらねど、ことつけて、対面したまはず。 |
お待ち申し上げていらっしゃる所では、長く訪れのない気がして、「やはり、こうなのだ」と、心細く物思いに沈んでいらっしゃるところに、中納言がおいでになった。ご病気でいらっしゃると聞いての、お見舞いなのであった。ひどく気分が悪いというご病気ではないが、病気にかこつけてお会いなさらない。 |
「おどろきながら、はるけきほどを参り来つるを。なほ、かの悩みたまふらむ御あたり近く」 |
「びっくりして、遠くから参ったのに。やはり、あちらのご病人のお側近くに」 |
と、切におぼつかながりきこえたまへば、うちとけて住まひたまへる方の御簾の前に入れたてまつる。「いとかたはらいたきわざ」と苦しがりたまへど、けにくくはあらで、御頭もたげ、御いらへなど聞こえたまふ。 |
と、しきりにご心配申し上げなさるので、くつろいで休んでいらっしゃるお部屋の御簾の前にお入れ申し上げる。「まことに見苦しいこと」と迷惑がりなさるが、そっけなくはなく、お頭を上げて、お返事など申し上げなさる。 |
宮の、御心もゆかでおはし過ぎにしありさまなど、語りきこえたまひて、 |
宮が、不本意ながらお素通りになった様子などを、お話し申し上げなさって、 |
「のどかに思せ。心焦られして、な恨みきこえたまひそ」 |
「安心してください。いらいらなさって、お恨み申し上げなさいますな」 |
など教へきこえたまへば、 |
などとお諭し申し上げなさると、 |
「ここには、ともかくも聞こえたまはざめり。亡き人の御諌めはかかることにこそ、と見はべるばかりなむ、いとほしかりける」 |
「妹には、格別何とも申し上げなさらないようです。亡き親のご遺言はこのようなことだったのだ、と思われて、おかわいそうなのです」 |
とて、泣きたまふけしきなり。いと心苦しく、我さへ恥づかしき心地して、 |
と言って、お泣きになる様子である。まことにおいたわしくて、自分までが恥ずかしい気がして、 |
「世の中は、とてもかくても一つさまにて過ぐすこと難くなむはべるを。いかなることをも御覧じ知らぬ御心どもには、ひとへに恨めしなど思すこともあらむを、しひて思しのどめよ。うしろめたくはよにあらじとなむ思ひはべる」 |
「夫婦仲というものは、いずれにしても一筋縄でゆくことは難しいものです。いろいろなことをご存知ないお二方には、ひたすら恨めしいと思いになることもあるでしょうが、じっと気長に考えなさい。不安はまったくないと存じます」 |
など、人の御上をさへ扱ふも、かつはあやしくおぼゆ。 |
などと、他人のお身の上まで世話をやくのも、一方では妙なと思われなさる。 |
夜々は、ましていと苦しげにしたまひければ、疎き人の御けはひの近きも、中の宮の苦しげに思したれば、 |
夜毎に、さらにとても苦しそうになさったので、他人がお側近くにいる感じも、中の宮が辛そうにお思いになっていたので、 |
「なほ、例の、あなたに」 |
「やはり、いつものように、あちらに」 |
と人びと聞こゆれど、 |
と女房たちが申し上げるが、 |
「まして、かくわづらひたまふほどのおぼつかなさを。思ひのままに参り来て、出だし放ちたまへれば、いとわりなくなむ。かかる折の御扱ひも、誰れかははかばかしく仕うまつる」 |
「いつもより、このようにご病気でいらっしゃる時が気がかりなので。心配のあまりに参上して、外に放っておかれては、とてもたまりません。このような時のご看病の指図も、誰がてきぱきとお仕えできましょうか」 |
など、弁のおもとに語らひたまひて、御修法ども始むべきことのたまふ。「いと見苦しく、ことさらにも厭はしき身を」と聞きたまへど、思ひ隈なくのたまはむもうたてあれば、さすがに、ながらへよと思ひたまへる心ばへもあはれなり。 |
などと、弁のおもとにご相談なさって、御修法をいくつも始めるようにおっしゃる。「たいそう見苦しく、わざわざ捨ててしまいたいわが身なのに」と聞いていらっしゃるが、相手の気持ちを顧みないかのように断るのもいやなので、やはり、生き永らえよと思ってくださるお気持ちもありがたく思われる。 |