第六章 大君の物語 大君の病気と薫の看護
8. 豊明の夜、薫と大君、京を思う
本文 |
現代語訳 |
宮の夢に見えたまひけむさま思しあはするに、「かう心苦しき御ありさまどもを、天翔りてもいかに見たまふらむ」と推し量られて、おはしましし御寺にも、御誦経せさせたまふ。所々の祈りの使出だしたてさせたまひ、公にも私にも、御暇のよし申したまひて、祭祓、よろづにいたらぬことなくしたまへど、ものの罪めきたる御病にもあらざりければ、何の験も見えず。 |
宮が夢に現れなさった様子をお考えになると、「このようにおいたわしいお二方のご境遇を、宙空をさ迷いながらどのように御覧になっていられるだろう」と推察されて、お籠もりになったお寺にも、御誦経をおさせになる。所々にご祈祷の使者をお出しになって、朝廷にも私邸のほうにも、お休暇の旨を申されて、祀りや祓い、いろいろと思い至らないことのないほどなさるが、何かの罪によるお病気でもなかったので、何の効目も見えない。 |
みづからも、平らかにあらむとも、仏をも念じたまはばこそあらめ、 |
ご自身でも、治りたいと思って、仏をお祈りなさればだが、 |
「なほ、かかるついでにいかで亡せなむ。この君のかく添ひて、残りなくなりぬるを、今はもて離れむかたなし。さりとて、かうおろかならず見ゆめる心ばへの、見劣りして、我も人も見えむが、心やすからず憂かるべきこと。もし命しひてとまらば、病にことつけて、形をも変へてむ。さてのみこそ、長き心をもかたみに見果つべきわざなれ」 |
「はやり、このような機会に何とかして死にたい。この君がこうして付き添って、余命残りなくなったが、今はもう他人で過すすべもない。そうかといって、このように並々ならず見える愛情だが、思ったほどでないと、自分も相手もそう思われるのは、つらく情けないことであろう。もし寿命が無理に延びたら、病気にかこつけて、姿を変えてしまおう。そうしてだけ、末長い心を互いに見届けることができるのだ」 |
と思ひしみたまひて、 |
と思い決めなさって、 |
「とあるにても、かかるにても、いかでこの思ふことしてむ」と思すを、さまでさかしきことはえうち出でたまはで、中の宮に、 |
「生きるにせよ、死ぬにせよ、何とかこの出家を遂げたい」とお思いになるのを、そこまで賢ぶったことはおっしゃらずに、中の宮に、 |
「心地のいよいよ頼もしげなくおぼゆるを、忌むことなむ、いとしるしありて命延ぶることと聞きしを、さやうに阿闍梨にのたまへ」 |
「気分がますます頼りなく思われるので、戒を受けると、とても効目があって寿命が延びることだと聞いていたが、そのように阿闍梨におっしゃってください」 |
と聞こえたまへば、皆泣き騷ぎて、 |
と申し上げなさると、みな泣き騒いで、 |
「いとあるまじき御ことなり。かくばかり思し惑ふめる中納言殿も、いかがあへなきやうに思ひきこえたまはむ」 |
「とんでもない御ことです。こんなにまでお心を痛めていらっしゃるような中納言殿も、どんなにがっかり申されることでしょう」 |
と、似げなきことに思ひて、頼もし人にも申しつがねば、口惜しう思す。 |
と、ふさわしくないことと思って、頼りにしている方にも申し上げないので、残念にお思いになる。 |
かく籠もりゐたまひつれば、聞きつぎつつ、御訪らひにふりはへものしたまふ人もあり。おろかに思されぬこと、と見たまへば、殿人、親しき家司などは、おのおのよろづの御祈りをせさせ、嘆ききこゆ。 |
このように籠もっていらっしゃったので、次々と聞き伝えて、お見舞いにわざわざやって来る人もいる。いい加減にはお思いでない方だ、と拝見するので、殿上人や、親しい家司などは、それぞれいろいろなご祈祷をさせ、ご心配申し上げる。 |
豊明は今日ぞかしと、京思ひやりたまふ。風いたう吹きて、雪の降るさまあわたたしう荒れまどふ。「都にはいとかうしもあらじかし」と、人やりならず心細うて、「疎くてやみぬべきにや」と思ふ契りはつらけれど、恨むべうもあらず。なつかしうらうたげなる御もてなしを、ただしばしにても例になして、「思ひつることどもも語らはばや」と思ひ続けて眺めたまふ。光もなくて暮れ果てぬ。 |
豊明の節会は今日であると、京をお思いやりになる。風がひどく吹いて、雪が降る様子があわただしく荒れ狂う。「都ではとてもこうではあるまい」と、自ら招いてのこととはいえ心細くて、「他人関係のまま終わってしまうのだろうか」と思う宿縁はつらいけれど、恨むこともできない。やさしくかわいらしいおもてなしを、ただ少しの間でも元どおりにして、「思っていたことを話したい」と、思い続けながら眺めていらっしゃる。光もささず暮れてしまった。 |
「かき曇り日かげも見えぬ奥山に 心をくらすころにもあるかな」 |
「かき曇って日の光も見えない奥山で 心を暗くする今日このごろだ」 |