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第六章 大君の物語 大君の病気と薫の看護   

7. 阿闍梨、八の宮の夢を語る   

 

本文

現代語訳

 不断経の、暁方のゐ替はりたる声のいと尊きに、阿闍梨も夜居にさぶらひて眠りたる、うちおどろきて陀羅尼読む。老いかれにたれど、いと功づきて頼もしう聞こゆ。

 不断の読経の、明け方に交替する声がたいそう尊いので、阿闍梨も徹夜で勤めていて居眠りをしていたのが、ふと目を覚まして陀羅尼を読む。老いしわがれた声だが、実にありがたそうで頼もしく聞こえる。

 「いかが今宵はおはしましつらむ」

 「どのように今夜はおいででしたか」

 など聞こゆるついでに、故宮の御ことなど申し出でて、鼻しばしばうちかみて、

 などとお尋ね申し上げる機会に、故宮のお事などを申し上げて、鼻をしばしばかんで、

 「いかなる所におはしますらむ。さりとも、涼しき方にぞ、と思ひやりたてまつるを、先つころの夢になむ見えおはしましし。

 「どのような世界にいらっしゃるのでしょう。そうはいっても、涼しい極楽に、と想像いたしておりましたが、先頃の夢にお見えになりました。

 俗の御かたちにて、『世の中を深う厭ひ離れしかば、心とまることなかりしを、いささかうち思ひしことに乱れてなむ、ただしばし願ひの所を隔たれるを思ふなむ、いと悔しき。すすむるわざせよ』と、いとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべきことのおぼえはべらねば、堪へたるにしたがひて、行ひしはべる法師ばら五、六人して、なにがしの念仏なむ仕うまつらせはべる。

 俗人のお姿で、『世の中を深く厭い離れていたので、執着するところはなかったが、わずかに思っていたことに乱れが生じて、今しばらく願っていた極楽浄土から離れているのを思うと、とても悔しい。追善供養をせよ』と、まことにはっきりと仰せになったが、すぐにご供養申し上げる方法が思い浮かびませんので、できる範囲内で、修業している法師たち五、六人で、何々の称名念仏を称えさせております。

 さては、思ひたまへ得たることはべりて、常不軽をなむつかせはべる」

 その他は、考えるところがございまして、常不軽を行わせております」

 など申すに、君もいみじう泣きたまふ。かの世にさへ妨げきこゆらむ罪のほどを、苦しき御心地にも、いとど消え入りぬばかりおぼえたまふ。

 などと申すので、君もひどくお泣きになる。あの世までお邪魔申した罪障を、苦しい気持ちに、ますます息も絶えそうに思われなさる。

 「いかで、かのまだ定まりたまはざらむさきに参でて、同じ所にも」

 「何とか、あのまだ行く所がお定まりにならない前に参って、同じ所にも」

 と、聞き臥したまへり。

 と、聞きながら臥せっていらっしゃった。

 阿闍梨は言少なにて立ちぬ。この常不軽、そのわたりの里々、京までありきけるを、暁の嵐にわびて、阿闍梨のさぶらふあたりを尋ねて、中門のもとにゐて、いと尊くつく。回向の末つ方の心ばへいとあはれなり。客人もこなたにすすみたる御心にて、あはれ忍ばれたまはず。

 阿闍梨は言葉少なに立った。この常不軽は、その近辺の里々、京まで歩き回ったが、明け方の嵐に難渋して、阿闍梨のお勤めしている所を尋ねて、中門のもとに座って、たいそう尊く拝する。回向の偈の終わりのほうの文句が実にありがたい。客人もこの方面に関心のあるお方で、しみじみと感動に堪えられない。

 中の宮、切におぼつかなくて、奥の方なる几帳のうしろに寄りたまへるけはひを聞きたまひて、あざやかにゐなほりたまひて、

 中の宮が、まことに気がかりで、奥のほうにある几帳の背後にお寄りになっているご気配をお聞きになって、さっと居ずまいを正しなさって、

 「不軽の声はいかが聞かせたまひつらむ。重々しき道には行はぬことなれど、尊くこそはべりけれ」とて、

 「不軽の声はどのようにお聞きあそばしましたでしょうか。重々しい祈祷としては行わないのですが、尊くございました」と言って、

 「霜さゆる汀の千鳥うちわびて

   鳴く音悲しき朝ぼらけかな」

 「霜が冷たく凍る汀の千鳥が堪えかねて

   寂しく鳴く声が悲しい、明け方ですね」

 言葉のやうに聞こえたまふ。つれなき人の御けはひにも通ひて、思ひよそへらるれど、いらへにくくて、弁してぞ聞こえたまふ。

 話すように申し上げなさる。冷淡な方のご様子にも似ていて、思い比べられるが、返事しにくくて、弁を介して申し上げなさる。

 「暁の霜うち払ひ鳴く千鳥

   もの思ふ人の心をや知る」

 「明け方の霜を払って鳴く千鳥も

   悲しんでいる人の心が分かるのでしょうか」

 似つかはしからぬ御代りなれど、ゆゑなからず聞こえなす。かやうのはかなしごとも、つつましげなるものから、なつかしうかひあるさまにとりなしたまふものを、「今はとて別れなば、いかなる心地せむ」と惑ひたまふ。

 不似合いな代役だが、気品を失わず申し上げる。このようなちょっとしたことも、遠慮されるものの、やさしく上手におとりなしなさるものを、「今を最後と別れてしまったら、どんなに悲しい気がするだろう」と、目の前がまっくらにおなりになる。



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