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第六章 大君の物語 大君の病気と薫の看護   

6. 薫、大君を看護する   

 

本文

現代語訳

 暮れぬれば、「例の、あなたに」と聞こえて、御湯漬けなど参らむとすれど、「近くてだに見たてまつらむ」とて、南の廂は僧の座なれば、東面の今すこし気近き方に、屏風など立てさせて入りゐたまふ。

 日も暮れたので、「いつもの、あちらの部屋に」と申し上げて、御湯漬などを差し上げようとするが、「せめて近くで看病をしよう」と言って、南の廂間は僧の座席なので、東面のもう少し近い所に、屏風などを立てさせて入ってお座りになる。

 中の宮、苦しと思したれど、この御仲を、「なほ、もてはなれたまはぬなりけり」と皆思ひて、疎くもえもてなし隔てず。初夜よりはじめて、法華経を不断に読ませたまふ。声尊き限り十二人して、いと尊し。

 中の宮は、困ったこととお思いになったが、お二人の仲を、「やはり、何でもなくはないのだ」と皆が思って、よそよそしくは隔てたりはしない。初夜から始めて、法華経を不断に読ませなさる。声の尊い僧すべて十二人で、実に尊い。

 灯はこなたの南の間にともして、内は暗きに、几帳をひき上げて、すこしすべり入りて見たてまつりたまへば、老人ども二、三人ぞさぶらふ。中の宮は、ふと隠れたまひぬれば、いと人少なに、心細くて臥したまへるを、

 灯火はこちらの南の間に燈して、内側は暗いので、几帳を引き上げて、少し入って拝見なさると、老女連中が二、三人伺候している。中の宮は、さっとお隠れになったので、たいそう人少なで、心細く臥せっていらっしゃるのを、

 「などか、御声をだに聞かせたまはぬ」

 「どうして、お声だけでも聞かせてくださらないのか」

 とて、御手を捉へておどろかしきこえたまへば、

 と言って、お手を取ってお声をかけて差し上げると、

 「心地には思ひながら、もの言ふがいと苦しくてなむ。日ごろおとづれたまはざりつれば、おぼつかなくて過ぎはべりぬべきにやと、口惜しくこそはべりつれ」

 「気持ちはそのつもりでいても、物を言うのがとても苦しくて。幾日も訪れてくださらなかったので、お目にかかれないままにこと切れてしまうのではないかと、残念に思っておりました」

 と、息の下にのたまふ。

 と、息も切れ切れにおっしゃる。

 「かく待たれたてまつるほどまで参り来ざりけること」

 「こんなにお待ちくださるまで参らなかったことよ」

 とて、さくりもよよと泣きたまふ。御ぐしなど、すこし熱くぞおはしける。

 と言って、しゃくりあげてお泣きになる。お額など、少し熱がおありであった。

 「何の罪なる御心地にか。人に嘆き負ふこそ、かくあむなれ」

 「何の罪によるご病気か。人を嘆かせると、こうなるのですよ」

 と、御耳にさし当てて、ものを多く聞こえたまへば、うるさうも恥づかしうもおぼえて、顔をふたぎたまへるを、むなしく見なしていかなる心地せむ、と胸もひしげておぼゆ。

 と、お耳に口を当てて、いろいろ多く申し上げなさるので、うるさくも恥ずかしくも思われて、顔を被いなさっているのを、死なせてしまったらどんな気がするだろう、と胸も張り裂ける思いでいられる。

 「日ごろ見たてまつりたまひつらむ御心地も、やすからず思されつらむ。今宵だに、心やすくうち休ませたまへ。宿直人さぶらふべし」

 「何日もご看病なさってお疲れも、大変なことでしょう。せめて今夜だけでも、安心してお休みなさい。宿直人が伺候しましょう」

 と聞こえたまへば、うしろめたけれど、「さるやうこそは」と思して、すこししぞきたまへり。

 と申し上げなさると、気がかりであるが、「何かわけがあるのだろう」とお思いになって、少し退きなさった。

 直面にはあらねど、はひ寄りつつ見たてまつりたまへば、いと苦しく恥づかしけれど、「かかるべき契りこそはありけめ」と思して、こよなうのどかにうしろやすき御心を、かの片つ方の人に見比べたてまつりたまへば、あはれとも思ひ知られにたり。

 面と向かってというのではないが、這い寄りながら拝見なさると、とても苦しく恥ずかしいが、「このような宿縁であったのだろう」とお思いになって、この上なく穏やかで安心なお心を、あのもうお一方にお比べ申し上げなさると、しみじみとありがたく思い知られなさった。

 「むなしくなりなむ後の思ひ出にも、心ごはく、思ひ隈なからじ」とつつみたまひて、はしたなくもえおし放ちたまはず。夜もすがら、人をそそのかして、御湯など参らせたてまつりたまへど、つゆばかり参るけしきもなし。「いみじのわざや。いかにしてかは、かけとどむべき」と、言はむかたなく思ひゐたまへり。

 「亡くなった後の思い出にも、強情な、思いやりのない女だと思われまい」とお慎みなさって、そっけなくおあしらいになったりなさらない。一晩中、女房に指図して、お薬湯などを差し上げなさるが、少しもお飲みになる様子もない。「大変なことだ。どのようにして、お命を取り止めることができようか」と、何とも言いようがなく沈みこんでいらっしゃった。



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