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第六章 大君の物語 大君の病気と薫の看護   

5. 薫、大君を見舞う   

 

本文

現代語訳

 中納言も、「見しほどよりは軽びたる御心かな。さりとも」と思ひきこえけるも、いとほしく、心からおぼえつつ、をさをさ参りたまはず。

 中納言も、「思ったよりは軽いお心だな。いくら何でも」とお思い申し上げていたのも、お気の毒に、心から思われて、めったに参上なさらない。

 山里には、「いかに、いかに」と、訪らひきこえたまふ。「この月となりては、すこしよろしくおはす」と聞きたまひけるに、公私もの騒がしきころにて、五、六日、人もたてまつれたまはぬに、「いかならむ」と、うちおどろかれたまひて、わりなきことのしげさをうち捨てて参でたまふ。

 山里には、「お加減はいかがですか。いかがですか」と、お見舞い申し上げなさる。「今月になってからは、少し具合がよくいらっしゃる」とお聞きになったが、公私に何かと騒がしいころなので、五、六日人も差し上げられなかったので、「どうしていらっしゃるだろう」と、急に気になりなさって、余儀ないご用で忙しいのを放り出して参上なさる。

 「修法はおこたり果てたまふまで」とのたまひおきけるを、よろしくなりにけりとて、阿闍梨をも帰したまひければ、いと人ずくなにて、例の、老い人出で来て、御ありさま聞こゆ。

 「修法は、病気がすっかりお治りになるまで」とおっしゃっておいたが、良くなったといって、阿闍梨をもお帰しになったので、たいそう人少なで、例によって、老女が出てきて、ご容態を申し上げる。

 「そこはかと痛きところもなく、おどろおどろしからぬ御悩みに、ものをなむさらに聞こしめさぬ。もとより、人に似たまはず、あえかにおはしますうちに、この宮の御こと出で来にしのち、いとどもの思したるさまにて、はかなき御くだものをだに御覧じ入れざりし積もりにや、あさましく弱くなりたまひて、さらに頼むべくも見えたまはず。よに心憂くはべりける身の命の長さにて、かかることを見たてまつれば、まづいかで先立ちきこえむと思ひたまへ入りはべり」

 「どこそこと痛いところもなく、たいしたお苦しみでないご病気なのに、食事を全然お召し上がりになりません。もともと、人と違っておいでで、か弱くいらっしゃるうえに、こちらの宮のご結婚話があって後は、ますますご心配なさっている様子で、ちょっとした果物さえお見向きもなさらなかったことが続いたためか、あきれるほどお弱りになって、まったく見込みなさそうにお見えです。まことに情けない長生きをして、このようなことを拝見すると、まずは何とか先に死なせていただきたいと存じております」

 と、言ひもやらず泣くさま、ことわりなり。

 と、言い終わらずに泣く様子、もっともなことである。

 「心憂く、などか、かくとも告げたまはざりける。院にも内裏にも、あさましく事しげきころにて、日ごろもえ聞こえざりつるおぼつかなさ」

 「情けない。どうして、こうとお知らせくださらなかったのか。院でも内裏でも、あきれるほど忙しいころなので、幾日もお見舞い申し上げなかった気がかりさよ」

 とて、ありし方に入りたまふ。御枕上近くてもの聞こえたまへど、御声もなきやうにて、えいらへたまはず。

 と言って、以前の部屋にお入りになる。御枕もと近くでお話し申し上げるが、お声もないようで、お返事できない。

 「かく重くなりたまふまで、誰も誰も告げたまはざりけるが、つらくも。思ふにかひなきこと」

 「こんなに重くおなりになるまで、誰も誰もお知らせくださらなかったのが、つらいよ。心配しても効ないことだ」

 と恨みて、例の阿闍梨、おほかた世に験ありと聞こゆる人の限り、あまた請じたまふ。御修法、読経、明くる日より始めさせたまはむとて、殿人あまた参り集ひ、上下の人立ち騷ぎたれば、心細さの名残なく頼もしげなり。

 と恨んで、いつもの阿闍梨、世間一般に効験があると言われている人をすべて、大勢お召しになる。御修法や、読経を翌日から始めさせようとなさって、殿邸の人が大勢参集して、上下の人たちが騒いでいるので、心細さがすっかりなくなって頼もしそうである。



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