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第六章 大君の物語 大君の病気と薫の看護   

4. 十月の晦、匂宮から手紙が届く   

 

本文

現代語訳

 いと暗くなるほどに、宮より御使あり。折は、すこしもの思ひ慰みぬべし。御方はとみにも見たまはず。

 たいそう暗くなったころに、宮からお使いが来る。悲観の折とて、少し物思いもきっと慰んだことであろう。御方はすぐには御覧にならない。

 「なほ、心うつくしくおいらかなるさまに聞こえたまへ。かくてはかなくもなりはべりなば、これより名残なき方にもてなしきこゆる人もや出で来む、とうしろめたきを。まれにも、この人の思ひ出できこえたまはむに、さやうなるあるまじき心つかふ人は、えあらじと思へば、つらきながらなむ頼まれはべる」

 「やはり、素直におおらかにお返事申し上げなさい。こうして亡くなってしまったら、この方よりもさらにひどい目にお遭わせ申す人が現れ出て来ようか、と心配です。時たまでも、この方がお思い出し申し上げなさるのに、そのようなとんでもない料簡を使う人は、いますまいと思うので、つらいけれども頼りにしています」

 と聞こえたまへば、

 と申し上げなさると、

 「後らさむと思しけるこそ、いみじくはべれ」

 「置き去りにしていこうとお思いなのは、ひどいことです」

 と、いよいよ顔を引き入れたまふ。

 と、ますます顔を襟元にお入れになる。

 「限りあれば、片時もとまらじと思ひしかど、ながらふるわざなりけり、と思ひはべるぞや。明日知らぬ世の、さすがに嘆かしきも、誰がため惜しき命にかは」

 「寿命があるので、片時も生き残っていまいと思っていたが、よくぞ生き永らえてきたものだった、と思っていますのよ。明日を知らない世が、そうはいっても悲しいのも、誰のために惜しい命かお分かりでしょう」

 とて、大殿油参らせて見たまふ。

 と言って、大殿油をお召しになって御覧になる。

 例の、こまやかに書きたまひて、

 例によって、こまやかにお書きになって、

 「眺むるは同じ雲居をいかなれば

   おぼつかなさを添ふる時雨ぞ」

 「眺めているのは同じ空なのに

 どうしてこうも会いたい気持ちをつのらせる時雨なのか」

 「かく袖ひつる」などいふこともやありけむ、耳馴れにたるを、なほあらじことと見るにつけても、恨めしさまさりたまふ。さばかり世にありがたき御ありさま容貌を、いとど、いかで人にめでられむと、好ましく艶にもてなしたまへれば、若き人の心寄せたてまつりたまはむ、ことわりなり。

 「このように袖を濡らした」などということも書いてあったのであろうか、耳慣れた文句なのを、やはりお義理だけの手紙と見るにつけても、恨めしさがおつのりになる。あれほど類まれなご様子やご器量を、ますます、何とかして女たちに誉められようと、色っぽくしゃれて振る舞っていらっしゃるので、若い女の方が心をお寄せ申し上げなさるのも、もっともなことである。

 ほど経るにつけても恋しく、「さばかり所狭きまで契りおきたまひしを、さりとも、いとかくてはやまじ」と思ひ直す心ぞ、常に添ひける。御返り、「今宵参りなむ」と聞こゆれば、これかれそそのかしきこゆれば、ただ一言なむ、

 時が過ぎるにつけても恋しく、「あれほどたいそうなお約束なさっていたのだから、いくら何でも、とてもこのまま終わりになることはない」と考え直す気に、いつもなるのであった。お返事は、「今宵帰参したい」と申し上げるので、皆が皆お促し申し上げるので、ただ一言、

 「霰降る深山の里は朝夕に

   眺むる空もかきくらしつつ」

 「霰が降る深山の里は朝夕に

   眺める空もかき曇っております」

 かく言ふは、神無月の晦日なりけり。「月も隔たりぬるよ」と、宮は静心なく思されて、「今宵、今宵」と思しつつ、障り多みなるほどに、五節などとく出で来たる年にて、内裏わたり今めかしく紛れがちにて、わざともなけれど過ぐいたまふほどに、あさましく待ち遠なり。はかなく人を見たまふにつけても、さるは御心に離るる折なし。左の大殿のわたりのこと、大宮も、

 こうお返事したのは、神無月の晦日だった。「一月もご無沙汰してしまったことよ」と、宮は気が気でなくお思いで、「今宵こそは、今宵こそは」と、お考えになりながら、邪魔が多く入ったりしているうちに、五節などが早くある年で、内裏辺りも浮き立った気分に取り紛れて、特にそのためではないが過ごしていらっしゃるうちに、あきれるほど待ち遠しくいらした。かりそめに女とお会いになっても、一方ではお心から離れることはない。左の大殿の縁談のことを、大宮も、

 「なほ、さるのどやかなる御後見をまうけたまひて、そのほかに尋ねまほしく思さるる人あらば、参らせて、重々しくもてなしたまへ」

 「やはり、そのような落ち着いた正妻をお迎えになって、その他にいとしくお思いになる女がいたら、参上させて、重々しくお扱いなさい」

 と聞こえたまへど、

 と申し上げなさるが、

 「しばし。さ思うたまふるやうなむ」

 「もう暫くお待ちください。ある考えている子細があります」

 聞こえいなびたまひて、「まことにつらき目はいかでか見せむ」など思す御心を知りたまはねば、月日に添へてものをのみ思す。

 お断り申し上げなさって、「ほんとうにつらい目をどうしてさせられようか」などとお考えになるお心をご存知ないので、月日とともに物思いばかりなさっている。



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