第二章 中君の物語 中君の不安な思いと薫の同情
8. 薫と中君の故里の宇治を思う
本文 |
現代語訳 |
「世の憂きよりはなど、人は言ひしをも、さやうに思ひ比ぶる心もことになくて、年ごろは過ぐしはべりしを、今なむ、なほいかで静かなるさまにても過ぐさまほしく思うたまふるを、さすがに心にもかなはざめれば、弁の尼こそうらやましくはべれ。 |
「世の中のつらさよりはなどと、昔の人は言ったが、そのように比較する考えも特になくて、何年も過ごしてきましたが、今やっと、やはり何とか静かな所で過ごしたく存じますが、何といっても思い通りにならないようなので、弁の尼が羨ましうございます。 |
この二十日あまりのほどは、かの近き寺の鐘の声も聞きわたさまほしくおぼえはべるを、忍びて渡させたまひてむや、と聞こえさせばやとなむ思ひはべりつる」 |
今月の二十日過ぎには、あの山荘に近いお寺の鐘の音も耳にしたく思われますので、こっそりと宇治へ連れて行ってくださいませんか、と申し上げたく思っておりました」 |
とのたまへば、 |
とおっしゃるので、 |
「荒らさじと思すとも、いかでかは。心やすき男だに、往き来のほど荒ましき山道にはべれば、思ひつつなむ月日も隔たりはべる。故宮の御忌日は、かの阿闍梨に、さるべきことども皆言ひおきはべりにき。かしこは、なほ尊き方に思し譲りてよ。時々見たまふるにつけては、心惑ひの絶えせぬもあいなきに、罪失ふさまになしてばや、となむ思ひたまふるを、またいかが思しおきつらむ。 |
「荒らすまいとお考えになっても、どうしてそのようなことができましょう。気軽な男でさえ、往復の道が荒々しい山道でございますので、思いながら幾月もご無沙汰しています。故宮のご命日には、あの阿闍梨に、しかるべき事柄をみな言いつけておきました。あちらは、やはり仏にお譲りなさいませ。時々御覧になるにつけても、迷いが生じるのも困ったことですから、罪を滅したい、と存じますが、他にどのようにお考えでしょうか。 |
ともかくも定めさせたまはむに従ひてこそは、とてなむ。あるべからむやうにのたまはせよかし。何事も疎からず承らむのみこそ、本意のかなふにてははべらめ」 |
どのようにお考えなさることにも従おう、と存じております。ご希望どおりにおっしゃいませ。どのようなことも親しく承るのが、望むところでございます」 |
など、まめだちたることどもを聞こえたまふ。経仏など、この上も供養じたまふべきなめり。かやうなるついでにことづけて、やをら籠もりゐなばや、などおもむけたまへるけしきなれば、 |
などと、実務面のことをも申し上げなさる。経や仏など、この上さらに御供養なさるようである。このような機会にかこつけて、そっと籠もりたい、などとお思いになっている様子なので、 |
「いとあるまじきことなり。なほ、何事も心のどかに思しなせ」 |
「実にとんでもないことです。やはり、どのようなことでもゆったりとお考えなさいませ」 |
と教へきこえたまふ。 |
とお諭し申し上げなさる。 |