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宿木

第七章 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く   

6. 匂宮、中君の前で琵琶を弾く     

 

本文

現代語訳

 枯れ枯れなる前栽の中に、尾花の、ものよりことにて手をさし出で招くがをかしく見ゆるに、まだ穂に出でさしたるも、露を貫きとむる玉の緒、はかなげにうちなびきたるなど、例のことなれど、夕風なほあはれなるころなりかし。

 枯れ枯れになった前栽の中に、尾花が、他の草とは違って手を差し出して招いているのが面白く見えるので、まだ穂に出かかったのも、露を貫き止める玉の緒は、頼りなさそうに靡いているのなど、普通のことであるが、夕方の風がやはりしみじみと感じられるころなのであろう。

 「穂に出でぬもの思ふらし篠薄

   招く袂の露しげくして」

 「外に現さないないが、物思いをしているらしいですね

   篠薄が招くので、袂の露がいっぱいですね」

 なつかしきほどの御衣どもに、直衣ばかり着たまひて、琵琶を弾きゐたまへり。黄鐘調の掻き合はせを、いとあはれに弾きなしたまへば、女君も心に入りたまへることにて、もの怨じもえし果てたまはず、小さき御几帳のつまより、脇息に寄りかかりて、ほのかにさし出でたまへる、いと見まほしくらうたげなり。

 着なれたお召し物類に、お直衣だけをお召しになって、琵琶を弾いていらっしゃった。黄鐘調の合奏を、たいそうしみじみとお弾きになるので、女君も嗜んでいらっしゃるので、物恨みもなさらずに、小さい御几帳の端から、脇息に寄り掛かって、わずかにお出しになった顔は、まことにもっと見たいほどかわいらしい。

 「秋果つる野辺のけしきも篠薄

   ほのめく風につけてこそ知れ

 「秋が終わる野辺の景色も

   篠薄がわずかに揺れている風によって知られます

 わが身一つの」

 自分一人の秋ではありませんが」

 とて涙ぐまるるが、さすがに恥づかしければ、扇を紛らはしておはする御心の内も、らうたく推し量らるれど、「かかるにこそ、人もえ思ひ放たざらめ」と、疑はしきがただならで、恨めしきなめり。

 と言って自然と涙ぐまれるが、そうはいっても恥ずかしいので、扇で隠していらっしゃる心中も、かわいらしく想像されるが、「こうだからこそ、相手も諦められないのだろう」と、疑わしいのが普通でなく、恨めしいようである。

 菊の、まだよく移ろひ果てで、わざとつくろひたてさせたまへるは、なかなか遅きに、いかなる一本にかあらむ、いと見所ありて移ろひたるを、取り分きて折らせたまひて、

 菊が、まだすっかり変色もしないで、特につくろわせなさっているのは、かえって遅いのに、どのような一本であろうか、たいそう見所があって変色しているのを、特別に折らせなさって、

 「花の中に偏に」

 「花の中で特別に」

 と誦じたまひて、

 と口ずさみなさって、

 「なにがしの皇子の、花めでたる夕べぞかし。いにしへ、天人の翔りて、琵琶の手教へけるは。何事も浅くなりにたる世は、もの憂しや」

 「なんとかいう親王が、この花を賞美した夕方です。昔、天人が飛翔して、琵琶の曲を教えたのは。何事も浅薄になった世の中は、嫌なことだ」

 とて、御琴さし置きたまふを、口惜しと思して、

 と言って、お琴をお置きになるのを、残念だとお思いになって、

 「心こそ浅くもあらめ、昔を伝へたらむことさへは、などてかさしも」

 「心は浅くなったでしょうが、昔から伝えられたことまでは、どうしてそのようなことがありましょうか」

 とて、おぼつかなき手などをゆかしげに思したれば、

 と言って、まだよく知らない曲などを聞きたくお思いになっているので、

 「さらば、独り琴はさうざうしきに、さしいらへしたまへかし」

 「それならば、一人で弾く琴は寂しいから、お相手なさい」

 とて、人召して、箏の御琴とり寄せさせて、弾かせたてまつりたまへど、

 と言って、女房を呼んで、箏の琴を取り寄せさせて、お弾かせ申し上げなさるが、

 「昔こそ、まねぶ人もものしたまひしか、はかばかしく弾きもとめずなりにしものを」

 「昔なら、習う人もいらっしゃったが、ちゃんと習得もせずになってしまいましたものを」

 と、つつましげにて手も触れたまはねば、

 と、遠慮深そうにして手もお触れにならないので、

 「かばかりのことも、隔てたまへるこそ心憂けれ。このころ、見るわたり、まだいと心解くべきほどにもあらねど、かたなりなる初事をも隠さずこそあれ。すべて女は、やはらかに心うつくしきなむよきこととこそ、その中納言も定むめりしか。かの君に、はた、かくもつつみたまはじ。こよなき御仲なめれば」

 「これくらいのことも、心置いていらっしゃるのが情けない。近頃、結婚した人は、まだたいして心打ち解けるようになっていませんが、まだ未熟な習い事をも隠さずにいます。総じて女性というものは、柔らかで心が素直なのが良いことだと、あの中納言も決めているようです。あの君には、また、このようにはお隠しになるまい。この上なく親密な仲のようなので」

 など、まめやかに怨みられてぞ、うち嘆きてすこし調べたまふ。ゆるびたりければ、盤渉調に合はせたまふ。掻き合はせなど、爪音けをかしげに聞こゆ。「伊勢の海」謡ひたまふ御声のあてにをかしきを、女房も、物のうしろに近づき参りて、笑み広ごりてゐたり。

 などと、本気になって恨み事を言われたので、溜息をついて少しお弾きになる。絃が緩めてあったので、盤渉調に合わせなさなさる。合奏などの、爪音が美しく聞こえる。「伊勢の海」をお謡いになるお声が上品で美しいのを、女房たちが、物の背後に近寄って、ほほえんで座っていた。

 「二心おはしますはつらけれど、それもことわりなれば、なほわが御前をば、幸ひ人とこそは申さめ。かかる御ありさまに交じらひたまふべくもあらざりし所の御住まひを、また帰りなまほしげに思して、のたまはするこそ、いと心憂けれ」

 「二心がおありなのはつらいけれども、それも仕方のないことなので、やはりわたしのご主人を、幸福人と申し上げましょう。このようなご様子でお付き合いなされそうにもなかった所のご生活を、また宇治に帰りたそうにお思いになって、おっしゃるのは、とても情けない」

 など、ただ言ひに言へば、若き人びとは、

 などと、ずけずけと言うので、若い女房たちは、

 「あなかまや」

 「おだまり」

 など制す。

 などと止める。



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