TOP  総目次  源氏物語目次   前へ 次へ
宿木

第七章 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く   

5. 薫、二条院の中君に宇治訪問の報告     

 

本文

現代語訳

 明けぬれば帰りたまはむとて、昨夜、後れて持て参れる絹綿などやうのもの、阿闍梨に贈らせたまふ。尼君にも賜ふ。法師ばら、尼君の下衆どもの料にとて、布などいふものをさへ、召して賜ぶ。心細き住まひなれど、かかる御訪らひたゆまざりければ、身のほどにはめやすく、しめやかにてなむ行なひける。

 夜が明けたのでお帰りになろうとして、昨夜、供人が後れて持ってまいった絹や綿などのような物を、阿闍梨に贈らせなさる。尼君にもお与えになる。法師たちや、尼君の下仕え連中の料として、布などという物までを、呼んでお与えになる。心細い生活であるが、このようなお見舞いが引き続きあるので、身分に比較してたいそう無難で、ひっそりと勤行しているのであった。

 木枯しの堪へがたきまで吹きとほしたるに、残る梢もなく散り敷きたる紅葉を、踏み分けける跡も見えぬを見渡して、とみにもえ出でたまはず。いとけしきある深山木に宿りたる蔦の色ぞまだ残りたる。こだになどすこし引き取らせたまひて、宮へと思しくて、持たせたまふ。

 木枯しが堪え難いまでに吹き抜けるので、梢の葉も残らず散って敷きつめた紅葉を、踏み分けた跡も見えないのを見渡して、すぐにはお出になれない。たいそう風情ある深山木にからみついている蔦の色がまだ残っていた。せめてこの蔦だけでもと少し引き取らせなさって、宮へとお思いらしく、持たせなさる。

 「宿り木と思ひ出でずは木のもとの

   旅寝もいかにさびしからまし」

 「宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら

   木の下の旅寝もどんなにか寂しかったことでしょう」

 と独りごちたまふを聞きて、尼君、

 と独り言をおっしゃるのを聞いて、尼君、

 「荒れ果つる朽木のもとを宿りきと

   思ひおきけるほどの悲しさ」

 「荒れ果てた朽木のもとを昔の泊まった家と

   思っていてくださるのが悲しいことです」

 あくまで古めきたれど、ゆゑなくはあらぬをぞ、いささかの慰めには思しける。

 どこまでも古風であるが、教養がなくはないのを、いくらかの慰めにとお思いになった。

 宮に紅葉たてまつれたまへれば、男宮おはしましけるほどなりけり。

 宮に紅葉を差し上げなさると、夫宮がいらっしゃるところだった。

 「南の宮より」

 「南の宮邸から」

 とて、何心もなく持て参りたるを、女君、「例のむつかしきこともこそ」と苦しく思せど、取り隠さむやは。宮、

 と言って、何の気なしに持って参ったのを、女君は、「いつものようにうるさいことを言ってきたらどうしようか」と苦しくお思いになるが、どうして隠すことができようか。宮は、

 「をかしき蔦かな」

 「美しいつたですね」

 と、ただならずのたまひて、召し寄せて見たまふ。御文には、

 と、穏やかならずおっしゃって、呼び寄せて御覧になる。お手紙には、

 「日ごろ、何事かおはしますらむ。山里にものしはべりて、いとど峰の朝霧に惑ひはべりつる御物語も、みづからなむ。かしこの寝殿、堂になすべきこと、阿闍梨に言ひつけはべりにき。御許しはべりてこそは、他に移すこともものしはべらめ。弁の尼に、さるべき仰せ言はつかはせ」

 「このごろは、いかがお過ごしでしょうか。山里に参りまして、ますます峰の朝霧に迷いましたお話も、お目にかかって。あちらの寝殿を、お堂に造ることを、阿闍梨に命じました。お許しを得てから、他の場所に移すこともいたしましょう。弁の尼に、しかるべきお指図をなさってください」

 などぞある。

 などとある。

 「よくも、つれなく書きたまへる文かな。まろありとぞ聞きつらむ」

 「よくもまあ、平静をよそおってお書きになった手紙だな。自分がいると聞いたのだろう」

 とのたまふも、すこしは、げにさやありつらむ。女君は、ことなきをうれしと思ひたまふに、あながちにかくのたまふを、わりなしと思して、うち怨じてゐたまへる御さま、よろづの罪許しつべくをかし。

 とおっしゃるのも、少しは、なるほどそうであったであろう。女君は、特別に何も書いてないのを嬉しいとお思いになるが、むやみにこのようにおっしゃるのを、困ったことだとお思いになって、恨んでいらっしゃるご様子は、すべての欠点も許したくなるような美しさである。

 「返り事書きたまへ。見じや」

 「お返事をお書きなさい。見ないでいますよ」

 とて、他ざまに向きたまへり。あまえて書かざらむもあやしければ、

 と、よそをお向きになった。甘えて書かないのもおかしいので、

 「山里の御ありきのうらやましくもはべるかな。かしこは、げにさやにてこそよく、と思ひたまへしを、ことさらにまた巌の中求めむよりは、荒らし果つまじく思ひはべるを、いかにもさるべきさまになさせたまはば、おろかならずなむ」

 「山里へのご外出が羨ましゅうございます。あちらでは、おっしゃるとおりにするのがよい、と存じておりましたが、特別にまた山奥に住処を求めるよりは、荒らしきってしまいたくなく思っておりますので、どのようにでも適当な状態になさってくれたら、ありがたく存じます」

 と聞こえたまふ。「かく憎きけしきもなき御睦びなめり」と見たまひながら、わが御心ならひに、ただならじと思すが、やすからぬなるべし。

 と申し上げなさる。「このように憎い様子もないご交際のようだ」と御覧になる一方で、自分のご性質から、ただではあるまいとお思いになるのが、落ち着いてもいられないのであろう。



TOP  総目次  源氏物語目次 ページトップへ  前へ 次へ