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宿木

第八章 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁   

7. 女二の宮、三条宮邸に渡御す      

 

本文

現代語訳

 按察使大納言は、「我こそかかる目も見むと思ひしか、ねたのわざや」と思ひたまへり。この宮の御母女御をぞ、昔、心かけきこえたまへりけるを、参りたまひて後も、なほ思ひ離れぬさまに聞こえ通ひたまひて、果ては宮を得たてまつらむの心つきたりければ、御後見望むけしきも漏らし申しけれど、聞こし召しだに伝へずなりにければ、いと心やましと思ひて、

 按察使大納言は、「自分こそはこのような目に会いたい思ったが、妬ましいことだ」と思っていらっしゃった。この宮の御母女御を、昔、思いをお懸け申し上げていらっしゃったが、入内なさった後も、やはり思いが離れないふうにお手紙を差し上げたりなさって、終いには宮を得たいとの考えがあったので、ご後見を希望する様子をお漏らし申し上げたが、お聞き入れさえなさらなかったので、たいそう悔しく思って、

 「人柄は、げに契りことなめれど、なぞ、時の帝のことことしきまで婿かしづきたまふべき。またあらじかし。九重のうちに、おはします殿近きほどにて、ただ人のうちとけ訪らひて、果ては宴や何やともて騒がるることは」

 「人柄は、なるほど前世の因縁による格別の生まれであろうが、どうして、時の帝が大仰なまでに婿を大切になさることだろう。他に例はないだろう。宮中の内で、お常御殿に近い所に、臣下が寛いで出入りして、最後は宴や何やとちやほやされることよ」

 など、いみじく誹りつぶやき申したまひけれど、さすがゆかしければ、参りて、心の内にぞ腹立ちゐたまへりける。

 などと、ひどく悪口をぶつぶつ申し上げなさったが、やはり盛儀を見たかったので、参内して、心中では腹を立てていらっしゃるのだった。

 紙燭さして歌どもたてまつる。文台のもとに寄りつつ置くほどのけしきは、おのおのしたり顔なりけれど、例の、「いかにあやしげに古めきたりけむ」と思ひやれば、あながちに皆もたづね書かず。上の町も、上臈とて、御口つきどもは、異なること見えざめれど、しるしばかりとて、一つ、二つぞ問ひ聞きたりし。これは、大将の君の、下りて御かざし折りて参りたまへりけるとか。

 紙燭を灯して何首もの和歌を献上する。文台のもとに寄りながら置く時の態度は、それぞれ得意顔であったが、例によって、「どんなにかおかしげで古めかしかったろう」と想像されるので、むやみに全部は探して書かない。上等の部も、身分が高いからといって、詠みぶりは、格別なことは見えないようだが、しるしばかりにと思って、一、二首聞いておいた。この歌は、大将の君が、庭に下りて帝の冠に挿す藤の花を折って参上なさった時のものとか。

 「すべらきのかざしに折ると藤の花

   及ばぬ枝に袖かけてけり」

 「帝の插頭に折ろうとして藤の花を

   わたしの及ばない袖にかけてしまいました」

 うけばりたるぞ、憎きや。

 いい気になっているのが、憎らしいこと。

 「よろづ世をかけて匂はむ花なれば

   今日をも飽かぬ色とこそ見れ」

 「万世を変わらず咲き匂う花であるから

   今日も見飽きない花の色として見ます」

 「君がため折れるかざしは紫の

   雲に劣らぬ花のけしきか」

 「主君のため折った插頭の花は

   紫の雲にも劣らない花の様子です」

 「世の常の色とも見えず雲居まで

   たち昇りたる藤波の花」

 「世間一般の花の色とも見えません

   宮中まで立ち上った藤の花は」

 「これやこの腹立つ大納言のなりけむ」と見ゆれ。かたへは、ひがことにもやありけむ。かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし。

 「これがこの腹を立てた大納言のであった」と見える。一部は、聞き違いであったかも知れない。このように、格別に風雅な点もない歌ばかりであった。

 夜更くるままに、御遊びいとおもしろし。大将の君、「安名尊」謡ひたまへる声ぞ、限りなくめでたかりける。按察使も、昔すぐれたまへりし御声の名残なれば、今もいとものものしくて、うち合はせたまへり。右の大殿の御七郎、童にて笙の笛吹く。いとうつくしかりければ、御衣賜はす。大臣下りて舞踏したまふ。

 夜の更けるにしたがって、管弦の御遊はたいそう興趣深い。大将の君が、「安名尊」を謡いなさった声は、この上なく素晴しかった。按察使大納言も、若い時にすぐれていらっしゃったお声が残っていて、今でもたいそう堂々としていて、合唱なさった。右の大殿の七郎君が、子供で笙の笛を吹く。たいそうかわいらしかったので、御衣を御下賜になる。大臣が庭に下りて拝舞なさる。

 暁近うなりてぞ帰らせたまひける。禄ども、上達部、親王たちには、主上より賜はす。殿上人、楽所の人びとには、宮の御方より品々に賜ひけり。

 暁が近くなってお帰りあそばした。禄などを、上達部や、親王方には、主上から御下賜になる。殿上人や、楽所の人びとには、宮の御方から身分に応じてお与えになった。

 その夜ふさりなむ、宮まかでさせたてまつりたまひける。儀式いと心ことなり。主上の女房さながら御送り仕うまつらせたまひける。庇の御車にて、庇なき糸毛三つ、黄金づくり六つ、ただの檳榔毛二十、網代二つ、童、下仕へ八人づつさぶらふに、また御迎への出車どもに、本所の人びと乗せてなむありける。御送りの上達部、殿上人、六位など、言ふ限りなききよらを尽くさせたまへり。

 その夜に、宮をご退出させなさった。その儀式はまことに格別である。主上つきの女房全員にお供をおさせになった。廂のお車で、廂のない糸毛車三台、黄金造りの車六台、普通の檳榔毛の車二十台、網代車二台、童女と、下仕人を八人ずつ伺候させたが、一方お迎えの出車に、本邸の女房たちを乗せてあった。お送りの上達部、殿上人、六位など、何ともいいようなく善美を尽くさせていらっしゃった。

 かくて、心やすくうちとけて見たてまつりたまふに、いとをかしげにおはす。ささやかにしめやかにて、ここはと見ゆるところなくおはすれば、「宿世のほど口惜しからざりけり」と、心おごりせらるるものから、過ぎにし方の忘らればこそはあらめ、なほ紛るる折なく、もののみ恋しくおぼゆれば、

 こうして、寛いで拝見なさると、まことに立派でいらっしゃる。小柄で上品でしっとりとして、ここがいけないと見えるところもなくいらっしゃるので、「運命も悪くはなかった」と、心中得意にならずにいらないが、亡くなった姫君が忘れられればよいのだが、やはり気持ちの紛れる時なく、そればかりが恋しく思い出されるので、

 「この世にては慰めかねつべきわざなめり。仏になりてこそは、あやしくつらかりける契りのほどを、何の報いと諦めて思ひ離れめ」

 「この世では慰めきれないことのようである。仏の悟りを得てこそ、不思議でつらかった二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」

 と思ひつつ、寺の急ぎにのみ心を入れたまへり。

 と思いながら、寺の造営にばかり心を注いでいらっしゃった。



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