第五章 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う
5. 浮舟の母、弁の尼君と語る
本文 |
現代語訳 |
暮れて月いと明かし。有明の空を思ひ出づる、「涙のいと止めがたきは、いとけしからぬ心かな」と思ふ。母君、昔物語などして、あなたの尼君呼び出でて、故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきことも思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにしことなど語る。 |
日が暮れて月がたいそう明るい。有明の空を思い出すと、「涙がますます抑えがたいのは、まことにけしからぬ心がけだ」と思う。母君、昔話などをして、あちらの尼君を呼び出して、亡くなった姫君のご様子、思慮深くいらして、しかるべき事柄をお考えになっていた間に、目の前でお亡くなりになったことなどを話す。 |
「おはしまさましかば、宮の上などのやうに、聞こえ通ひたまひて、心細かりし御ありさまどもの、いとこよなき御幸ひにぞはべらましかし」 |
「生きていらっしゃったら、宮の上などのように、親しくお話し合いさって、心細かった方々のご境遇が、とてもこの上なくお幸せでございましたでしょうに」 |
と言ふにも、「わが娘は異人かは。思ふやうなる宿世のおはし果てば、劣らじを」など思ひ続けて、 |
と言うにつけても、「自分の娘とて他人ではない。思い通りの運命がお続きになったら、負けるまいに」と思い続けて、 |
「世とともに、この君につけては、ものをのみ思ひ乱れしけしきの、すこしうちゆるびて、かくて渡りたまひぬべかめれば、ここに参り来ること、かならずしもことさらには、え思ひ立ちはべらじ。かかる対面の折々に、昔のことも、心のどかに聞こえ承らまほしけれ」 |
「いつもいつも、この君の事では、何かと心配ばかりしてきましたが、様子が少しよくなって、このように京にお移りなるようですから、こちらにやって参ること、特別にわざわざ思い立つこともございますまい。このようなお目にかかった折々に、昔の話を、のんびりと承りたく存じます」 |
など語らふ。 |
などと話す。 |
「ゆゆしき身とのみ思うたまへしみにしかば、こまやかに見えたてまつり聞こえさせむも、何かは、つつましくて過ぐしはべりつるを、うち捨てて、渡らせたまひなば、いと心細くなむはべるべけれど、かかる御住まひは、心もとなくのみ見たてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。世に知らず重々しくおはしますべかめる殿の御ありさまにて、かく尋ねきこえさせたまひしも、おぼろけならじと聞こえおきはべりにし、浮きたることにやは、はべりける」 |
「縁起でもない身の上とばかり存じておりましたので、こまごまとお目にかかってお話し申し上げますのも、どんなものかしらと、遠慮して過ごしてまいりましたが、見捨てて、お移りになりましたら、とても心細くございましょうが、このようなお住まいは、不安にばかり拝見してましたので、嬉しいことでございますね。又となく重々しくいらっしゃるらしい殿のご様子で、このようにお訪ね申し上げなさったのも、並々な愛情ではないと申し上げたことがございましたが、いい加減なことで、ございましたでしょうか」 |
など言ふ。 |
などと言う。 |
「後は知らねど、ただ今は、かく思し離れぬさまにのたまふにつけても、ただ御しるべをなむ思ひ出できこゆる。宮の上の、かたじけなくあはれに思したりしも、つつましきことなどの、おのづからはべりしかば、中空に所狭き御身なり、と思ひ嘆きはべりて」 |
「先の事は分かりませんが、ただ今は、このようにお見捨てになることなくおっしゃるにつけても、ただお導きによるものと思い出し申し上げております。宮の上が、もったいなくもお目をかけてくださいましたのも、遠慮されることなどが、自然とございましたので、中途半端で身の置き所のない方だ、と嘆きまして」 |
と言ふ。尼君うち笑ひて、 |
と言う。尼君はにっこりして、 |
「この宮の、いと騒がしきまで色におはしますなれば、心ばせあらむ若き人、さぶらひにくげになむ。おほかたは、いとめでたき御ありさまなれど、さる筋のことにて、上のなめしと思さむなむわりなきと、大輔が娘の語りはべりし」 |
「この宮の、とてもうるさいほどに好色でいらっしゃるので、分別のある若い女房は、お仕えにくそうで。だいたいは、とても素晴らしいご様子ですが、その方面のことで、上が失礼なとお思いになるのが困ったことだと、大輔の娘が話しておりました」 |
と言ふにも、「さりや、まして」と、君は聞き臥したまへり。 |
と言うにつけても、「やはりそうか、それ以上にわたしは」と、女君は臥せって聞いていらっしゃった。 |