第五章 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う
7. 浮舟の母、帰京す
本文 |
現代語訳 |
悩ましげにて痩せたまへるを、乳母にも言ひて、 |
悩ましそうに臥せっていらっしゃるのを、乳母にも言って、 |
「さるべき御祈りなどせさせたまへ。祭祓などもすべきやう」 |
「しかるべき御祈祷などをなさいませ。祭や祓などもするように」 |
など言ふ。御手洗川に禊せまほしげなるを、かくも知らでよろづに言ひ騒ぐ。 |
などと言う。御手洗川で禊をしたい恋の悩みなのに、そうとも知らずにいろいろと言い騒いでいる。 |
「人少ななめり。よくさるべからむあたりを訪ねて。今参りはとどめたまへ。やむごとなき御仲らひは、正身こそ、何事もおいらかに思さめ、好からぬ仲となりぬるあたりは、わづらはしきこともありぬべし。隠し密めて、さる心したまへ」 |
「女房が少ないようだ。よい適当な所から尋ねて。新参者は残しなさい。高貴な方とのご交際は、ご本人は何事もおっとりとお思いでしょうが、良くない仲になってしまいそうな女房どうしは、厄介な事もきっとありましょう。表立たず控え目にして、そのような用心をなさい」 |
など、思ひいたらぬことなく言ひおきて、 |
などと、気のつかないことがないまでに注意して、 |
「かしこにわづらひはべる人も、おぼつかなし」 |
「あちらで病んでおります人も、気がかりです」 |
とて帰るを、いともの思はしく、よろづ心細ければ、「またあひ見でもこそ、ともかくもなれ」と思へば、 |
と言って帰るのを、とても物思いとなり、何事につけ悲しいので、「再びと会わずに、死んでしまうのか」と思うと、 |
「心地の悪しくはべるにも、見たてまつらぬが、いとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしも参り来まほしくこそ」 |
「気分が悪うございましても、お目にかかれないのが、とても不安に思われますので、少しの間でもお伺いしていたく存じます」 |
と慕ふ。 |
と慕う。 |
「さなむ思ひはべれど、かしこもいともの騒がしくはべり。この人びとも、はかなきことなどえしやるまじく、狭くなどはべればなむ。武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを。なほなほしき身のほどは、かかる御ためこそ、いとほしくはべれ」 |
「そのように思いましても、あちらもとても何かと騒がしくございます。こちらの女房たちも、ちょっとしたことなどできそうもない、狭い所でございますので。武生の国府にお移りになっても、こっそりとお伺いしますから。人数ならぬ身の上では、このようなお方のために、お気の毒でございます」 |
など、うち泣きつつのたまふ。 |
などと、泣きながらおっしゃる。 |