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蜻蛉

第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い   

5. 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う   

 

本文

現代語訳

 東の渡殿に、開きあひたる戸口に、人びとあまたゐて、物語などする所におはして、

 東の渡殿に、開いている戸口に、女房たちが大勢いて、話などをひっそりとしている所にいらして、

 「なにがしをぞ、女房は睦ましと思すべき。女だにかく心やすくはよもあらじかし。さすがにさるべからむこと、教へきこえぬべくもあり。やうやう見知りたまふべかめれば、いとなむうれしき」

 「わたしをこそ、女房は親しみやすくお思いになるべきではありませんか。女でさえこのように気のおけない人はいません。それでもためになることを、教えて上げられることもあります。だんだんとお分かりになりそうですから、とても嬉しいです」

 とのたまへば、いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、

 とおっしゃるので、とても答えにくくばかり思っている中で、弁のおもとといって、物馴れている年配の女房が、

 「そも睦ましく思ひきこゆべきゆゑなき人の、恥ぢきこえはべらぬにや。ものはさこそはなかなかはべるめれ。かならずそのゆゑ尋ねて、うちとけ御覧ぜらるるにしもはべらねど、かばかり面無くつくりそめてける身に負はさざらむも、かたはらいたくてなむ」

 「そのようにも親しくすべき理由のない者こそ、気兼ねなく振る舞えるのではないでしょうか。物事はかえってそのようなものです。必ずしもその理由を知ったうえで、くつろいでお話申し上げるというのでもございませんが、あれほど厚かましさが身についているわたしが引き受けないのも、見ていられませんで」

 と聞こゆれば、

 と申し上げると、

 「恥づべきゆゑあらじ、と思ひ定めたまひてけるこそ、口惜しけれ」

 「恥じる理由はあるまい、とお決めになっていらっしゃるのが、残念なことです」

 など、のたまひつつ見れば、唐衣は脱ぎすべし押しやり、うちとけて手習しけるなるべし、硯の蓋に据ゑて、心もとなき花の末手折りて、弄びけり、と見ゆ。かたへは几帳のあるにすべり隠れ、あるはうち背き、押し開けたる戸の方に、紛らはしつつゐたる、頭つきどもも、をかしと見わたしたまひて、硯ひき寄せて、

 などと、おっしゃりながら見ると、唐衣は脱いで押しやって、くつろいで手習いをしていたのであろう、硯の蓋の上に置いて、頼りなさそうな花の枝先を手折って、弄んでいた、と見える。ある者は几帳のある所にすべり隠れ、またある者は背を向けて、押し開けてある妻戸の方に、隠れながら座っている、その頭の恰好を、興趣あると一回り御覧になって、硯を引き寄せて、

 「女郎花乱るる野辺に混じるとも

   露のあだ名を我にかけめや

 「女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも

   露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか

 心やすくは思さで」

 どなたも気を許してくださらないので」

 と、ただこの障子にうしろしたる人に見せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、

 と、ちょうどこの襖障子の後向きしていた女房にお見せになると、身動きもせずに、落ち着いて、すぐさま、

 「花といへば名こそあだなれ女郎花

   なべての露に乱れやはする」

 「花と申せば名前からして色っぽく聞こえますが

   女郎花はそこらの露に靡いたり濡れたりしません」

 と書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、誰ならむ、と見たまふ。今参う上りける道に、塞げられてとどこほりゐたるなるべし、と見ゆ。弁の御許は、

 と書いた筆跡は、ほんの一首ながら、風情があって、だいたいに無難なので、誰なのだろう、とお思いになる。今参上した途中で、道をふさがれてとどまっていた者らしい、と思う。弁のおもとは、

 「いとけざやかなる翁言、憎くはべり」とて、

 「まことにはっきりした老人めいたお言葉、憎うございます」と言って、

 「旅寝してなほこころみよ女郎花

   盛りの色に移り移らず

 「旅寝してひとつ試みて御覧なさい

  女郎花の盛りの色にお心が移るか移らないか

 さて後、定めきこえさせむ」

 そうして後に、お決め申し上げましょう」

 と言へば、

 と言うので、

 「宿貸さば一夜は寝なむおほかたの

   花に移らぬ心なりとも」

 「お宿をお貸しくださるなら、一夜は泊まってみましょう

   そこらの花には心移さないわたしですが」

 とあれば、

 とあるので、

 「何か、恥づかしめさせたまふ。おほかたの野辺のさかしらをこそ聞こえさすれ」

 「どうして、恥をおかかせなさいます。普通にいう野辺のしゃれを申し上げただけです」

 と言ふ。はかなきことをただすこしのたまふも、人は残り聞かまほしくのみ思ひきこえたり。

 と言う。とりとめのないことをほんのちょっとおっしゃっても、女房はその続きを聞きたくばかりお思い申し上げていた。

 「心なし。道開けはべりなむよ。分きても、かの御もの恥ぢのゆゑ、かならずありぬべき折にぞあめる」

 「うっかりしていました。道を開けますよ。特に意識して、あちらで恥ずかしがっていらやる理由が、きっとありそうな折ですから」

 とて、立ち出でたまへば、「おしなべてかく残りなからむ、と思ひやりたまふこそ心憂けれ」と思へる人もあり。

 と言って、お立ちになると、「だいたいこのような奥ゆかしいところがないだろう、とご想像なさるもがつらい」と思っている女房もいた。



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