第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
7. 薫と中将の御許、遊仙窟の問答
本文 |
現代語訳 |
例の、西の渡殿を、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。姫宮、夜はあなたに渡らせたまひければ、人びと月見るとて、この渡殿にうちとけて物語するほどなりけり。箏の琴いとなつかしう弾きすさむ爪音、をかしう聞こゆ。思ひかけぬに寄りおはして、 |
例によって、西の渡殿を、先日に真似て、わざわざいらっしゃったのも変なことだ。姫宮は、夜はあちらにお渡りあそばしたので、女房たちが月を見ようとして、この渡殿でくつろいで話をしているところであった。箏の琴がたいそうやさしく弾いている爪音が、興趣深く聞こえる。思いがけないところにお寄りになって、 |
「など、かくねたまし顔にかき鳴らしたまふ」 |
「どうして、このように焦らすようにお弾きになるのですか」 |
とのたまふに、皆おどろかるべけれど、すこし上げたる簾うち下ろしなどもせず、起き上がりて、 |
とおっしゃると、皆驚いたにちがいないが、少し巻き上げた簾を下ろしなどもせず、起き上がって、 |
「似るべき兄やは、はべるべき」 |
「似ている兄様が、ございましょうか」 |
といらふる声、中将の御許とか言ひつるなりけり。 |
と答える声は、中将のおもととか言った人であった。 |
「まろこそ、御母方の叔父なれ」 |
「わたしこそが、御母方の叔父ですよ」 |
と、はかなきことをのたまひて、 |
と、戯れをおっしゃって、 |
「例の、あなたにおはしますべかめりな。何わざをか、この御里住みのほどにせさせたまふ」 |
「いつものように、あちらにいらっしゃるようですね。どのようなことを、この里下がりのご生活の中でなさっておいでですか」 |
など、あぢきなく問ひたまふ。 |
などと、つまらないことをお尋ねになる。 |
「いづくにても、何事をかは。ただ、かやうにてこそは過ぐさせたまふめれ」 |
「どちらにいらしても、同じことです。ただ、このような事をしてお過ごしでいらっしゃるようです」 |
と言ふに、「をかしの御身のほどや、と思ふに、すずろなる嘆きの、うち忘れてしつるも、あやしと思ひ寄る人もこそ」と紛らはしに、さし出でたる和琴を、たださながら掻き鳴らしたまふ。律の調べは、あやしく折にあふと聞く声なれば、聞きにくくもあらねど、弾き果てたまはぬを、なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり思ふ。 |
と言うと、「結構なご身分の方だ、と思うと、わけもない溜息を、うっかりしてしまったのも、変だと思い寄る人があっては」と紛らわすために、差し出した和琴を、ただそのまま掻き鳴らしなさる。律の調べは、不思議と季節に合うと聞こえる音なので、聞き憎くもないが、最後までお弾きにならないのを、かえって気がもめると、熱心な人は、死ぬほど残念がる。 |
「わが母宮も劣りたまふべき人かは。后腹と聞こゆばかりの隔てこそあれ、帝々の思しかしづきたるさま、異事ならざりけるを。なほ、この御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。明石の浦は心にくかりける所かな」など思ひ続くることどもに、「わが宿世は、いとやむごとなしかし。まして、並べて持ちたてまつらば」と思ふぞ、いと難きや。 |
「わたしの母宮もひけをおとりになる方だろうか。后腹と申し上げる程度の相違だが、それぞれの父帝が大切になさる様子に、違いはないのだ。がやはり、こちらのご様子は、たいそう格別な感じがするのが不思議なことだ。明石の浦は奥ゆかしい所だ」などと思い続けることの中で、「自分の宿世は、とてもこの上ないものであった。その上に、並べて頂戴したら」と思うのは、とても難しいことだ。 |