第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
9. 薫、宇治の三姉妹の運命を思う
本文 |
現代語訳 |
「なみなみの人めきて、心地なのさまや」ともの憂ければ、 |
「世間並みの扱いのようで、失礼ではないか」と気が進まないので、 |
「もとより思し捨つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほし尋ねむなむうれしかるべき。疎々しう人伝てなどにてもてなさせたまはば、えこそ」 |
「もともと見捨てられない間柄としてよりも、今はそれ以上に、何か必要なことにつけても、お声をかけてくださったら嬉しく存じます。よそよそしく人を介してなどでしたら、とてもお伺いできません」 |
とのたまふに、「げに」と、思ひ騷ぎて、君をひきゆるがすめれば、 |
とおっしゃるので、「おっしゃるとおりだ」と、あわてて気づいて、宮の君を揺さぶるらしいので、 |
「松も昔のとのみ、眺めらるるにも、もとよりなどのたまふ筋は、まめやかに頼もしうこそは」 |
「松も昔の知る人もいないとばかりに、つい物思いに沈んでしまいますにつけても、もとからの縁などとおっしゃる事は、ほんとうに頼もしく存じられます」 |
と、人伝てともなく言ひなしたまへる声、いと若やかに愛敬づき、やさしきところ添ひたり。「ただなべてのかかる住処の人と思はば、いとをかしかるべきを、ただ今は、いかでかばかりも、人に声聞かすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。「容貌もいとなまめかしからむかし」と、見まほしきけはひのしたるを、「この人ぞ、また例の、かの御心乱るべきつまなめると、をかしうも、ありがたの世や」と思ひゐたまへり。 |
と、人を介してというのでなくおっしゃる声、まことに若々しく愛嬌があって、やさしい感じが具わっていた。「ただ普通のこのような局住まいをする人と思へば、とても趣があるにちがいないが、ただ今では、どうしてほんのわずかでも、人に声を聞かせてよいという立場に馴れておしまいになったのだろう」と、何となく気になる。「容貌などもとても優美であろう」と、見たい感じがしているが、「この人は、また例によって、あの方のお心を掻き乱す種になるにちがいなかろうと、興味深くもあり、めったにいないものだ」とも思っていらっしゃった。 |
「これこそは、限りなき人のかしづき生ほしたてたまへる姫君。また、かばかりぞ多くはあるべき。あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人びとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか」 |
「この方こそは、貴いご身分の父宮が大切にお世話して成人させなさった姫君だ。また、この程度の女なら他にもそう多くいよう。不思議であったことは、あの聖の近辺に、宇治の山里に育った姫君たちで、難のある方はいなかったことだ。この、頼りないな、軽率だな、などと思われる女も、このようにちょっと会った感じでは、たいそう風情があったものだ」 |
と、何事につけても、ただかの一つゆかりをぞ思ひ出でたまひける。あやしう、つらかりける契りどもを、つくづくと思ひ続け眺めたまふ夕暮、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、 |
と、何事につけても、ただあのご一族の方をお思い出しなさるのであった。不思議と、またつらい縁であった一つ一つを、つくづくと思い出し物思いにふけっていらっしゃる夕暮に、蜻蛉が頼りなさそうに飛び交っているのを、 |
「ありと見て手にはとられず見ればまた 行方も知らず消えし蜻蛉 |
「そこにいると見ても、手には取ることのできない 見えたと思うとまた行く方知れず消えてしまった蜻蛉だ |
あるか、なきかの」 |
あるのか、ないのか」 |
と、例の、独りごちたまふ、とかや。 |
と、例によって、独り言をおっしゃった、とか。 |