第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる
4. 妹尼、若い女を介抱す
本文 |
現代語訳 |
御車寄せて降りたまふほど、いたう苦しがりたまふとて、ののしる。すこし静まりて、僧都、 |
お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って、大騒ぎする。少し静まって、僧都が、 |
「ありつる人、いかがなりぬる」 |
「先程の人は、どのようになった」 |
と問ひたまふ。 |
とお尋ねになる。 |
「なよなよとしてもの言はず、息もしはべらず。何か、物にけどられにける人にこそ」 |
「なよなよとして何も言わず、息もしません。いやなに、魔性の物に正体を抜かれた者でしょう」 |
と言ふを、妹の尼君聞きたまひて、 |
と言うのを、妹の尼君がお聞きになって、 |
「何事ぞ」 |
「何事ですか」 |
と問ふ。 |
と尋ねる。 |
「しかしかのことなむ、六十に余る年、珍かなるものを見たまへつる」 |
「これこれしかじかの事を、六十歳を過ぎた年齢になって、珍しい物を拝見しました」 |
とのたまふ。うち聞くままに、 |
とおっしゃる。それを聞くなり、 |
「おのが寺にて見し夢ありき。いかやうなる人ぞ。まづそのさま見む」 |
「わたしが寺で見た夢がありました。どのような人ですか。早速その様子を見たい」 |
と泣きてのたまふ。 |
と泣いておっしゃる。 |
「ただこの東の遣戸になむはべる。はや御覧ぜよ」 |
「ちょうどこの東の遣戸の所におります。早く御覧なさい」 |
と言へば、急ぎ行きて見るに、人も寄りつかでぞ、捨て置きたりける。いと若ううつくしげなる女の、白き綾の衣一襲、紅の袴ぞ着たる。香はいみじう香うばしくて、あてなるけはひ限りなし。 |
と言うので、急いで行って見ると、誰も側近くにおらずに、放置してあった。とても若くかわいらしげな女で、白い綾の衣一襲に、紅の袴を着ている。香はたいそう芳ばしくて、上品な感じがこの上ない。 |
「ただ、わが恋ひ悲しむ娘の、帰りおはしたるなめり」 |
「まるで、わたしが恋い悲しんでいた娘が、帰潅ていらしたようだ」 |
とて、泣く泣く御達を出だして、抱き入れさす。いかなりつらむとも、ありさま見ぬ人は、恐ろしがらで抱き入れつ。生けるやうにもあらで、さすがに目をほのかに見開けたるに、 |
と言って、泣きながら年配の女房たちを使って、抱き入れさせる。どうしたことかとも、事情を知らない人は、恐がらずに抱き入れた。生きているようでもなく、それでも目をわずかに開けたので、 |
「もののたまへや。いかなる人か、かくては、ものしたまへる」 |
「何かおっしゃいなさい。どのようなお人か、こうして、いらっしゃるのは」 |
と言へど、ものおぼえぬさまなり。湯取りて、手づからすくひ入れなどするに、ただ弱りに絶え入るやうなりければ、 |
と尋ねるが、何も分からない様子である。薬湯を取って、ご自身ですくって飲ませなどするが、ただ弱って死にそうだったので、 |
「なかなかいみじきわざかな」とて、「この人亡くなりぬべし。加持したまへ」 |
「かえって大変な事になりました」と言って、「この人は死にそうです。加持をしなさい」 |
と、験者の阿闍梨に言ふ。 |
と、験者の阿闍梨に言う。 |
「さればこそ。あやしき御もの扱ひ」 |
「それだから言ったのに。つまらないお世話です」 |
とは言へど、神などのために経読みつつ祈る。 |
とは言うが、神などの御ためにお経を読みながら祈る。 |