第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる
5. 若い女生き返るが、死を望む
本文 |
現代語訳 |
僧都もさしのぞきて、 |
僧都もちらりと覗いて、 |
「いかにぞ。何のしわざぞと、よく調じて問へ」 |
「どうですか。何のしわざかと、よく調伏して問え」 |
とのたまへど、いと弱げに消えもていくやうなれば、 |
とおっしゃるが、ひどく弱そうに死んで行きそうなので、 |
「え生きはべらじ。すぞろなる穢らひに籠もりて、わづらふべきこと」 |
「生きられそうにない。思いがけない穢れに籠もって、厄介なことになりますこと」 |
「さすがに、いとやむごとなき人にこそはべるめれ。死に果つとも、ただにやは捨てさせたまはむ。見苦しきわざかな」 |
「そうは言っても、とても高貴な方でございましょう。死んだとしても、普通の人のようにはお捨て置きになることはできまい。面倒なことになったな」 |
と言ひあへり。 |
と言い合っていた。 |
「あなかま。人に聞かすな。わづらはしきこともぞある」 |
「お静かに。人に聞かせるな。厄介なことでも起こったら大変です」 |
など口固めつつ、尼君は、親のわづらひたまふよりも、この人を生け果てて見まほしう惜しみて、うちつけに添ひゐたり。知らぬ人なれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじと、見る限り扱ひ騷ぎけり。さすがに、時々、目見開けなどしつつ、涙の尽きせず流るるを、 |
などと口封じしながら、尼君は、親が患っていらっしゃるのよりも、この人を生き返らせてみたく惜しんで、もうすっかりこちらに付きっきりになっていた。知らない人であるが、顔容姿がこの上なく美しいので、死なせまいと、見る人びとも皆でお世話した。そうは言っても、時々、目を開けたりなどして、涙が止まらず流れるのを、 |
「あな、心憂や。いみじく悲しと思ふ人の代はりに、仏の導きたまへると思ひきこゆるを。かひなくなりたまはば、なかなかなることをや思はむ。さるべき契りにてこそ、かく見たてまつらめ。なほ、いささかもののたまへ」 |
「まあ、お気の毒な。たいそう悲しいと思う娘の代わりに、仏がお導きなさったとお思い申し上げていたのに。亡くなってしまわれたら、かえって悲しい思いが加わることでしょう。こうなるはずの宿縁で、こうしてお会い申したのでしょう。ぜひ、少しは何とかおっしゃってください」 |
と言ひ続くれど、からうして、 |
と言い続けるが、やっとのことで、 |
「生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜この川に落とし入れたまひてよ」 |
「生き返ったとしても、つまらない無用の者です。誰にも見せないで、夜にこの川に投げ込んでくださいまし」 |
と、息の下に言ふ。 |
と、息の下に言う。 |
「まれまれ物のたまふをうれしと思ふに、あな、いみじや。いかなれば、かくはのたまふぞ。いかにして、さる所にはおはしつるぞ」 |
「やっとのこと何かおっしゃるのを嬉しいと思ったら、まあ、大変な。どうして、そのようなことをおっしゃるのですか。なぜ、あのような所にいらっしゃったのですか」 |
と問へども、物も言はずなりぬ。「身にもし傷などやあらむ」とて見れど、ここはと見ゆるところなくうつくしければ、あさましく悲しく、「まことに、人の心惑はさむとて出で来たる仮のものにや」と疑ふ。 |
と尋ねるが、何もおっしゃらなくなってしまった。「身体にもしやおかしなところなどがあろうか」と思って見たが、これと思える所はなくかわいらしいので、驚き呆れて悲しく、「ほんとうに、人の心を惑わそうとして出て来た仮の姿をした変化の物か」と疑う。 |