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手習

第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る   

8. 母尼君、琴を弾く   

 

本文

現代語訳

 「女は、昔は、東琴をこそは、こともなく弾きはべりしかど、今の世には、変はりにたるにやあらむ。この僧都の、『聞きにくし。念仏より他のあだわざなせそ』とはしたなめられしかば、何かは、とて弾きはべらぬなり。さるは、いとよく鳴る琴もはべり」

 「お婆は、昔は、東琴を、簡単に弾きましたが、今の世では、変わったのでしょうか。息子の僧都が『聞きにくい。念仏以外のつまらないことはするな』と叱られましたので、それならと、もう弾かないのでございます。それにしても、とてもよい響きの琴もございます」

 と言ひ続けて、いと弾かまほしと思ひたれば、いと忍びやかにうち笑ひて、

 と言い続けて、とても弾きたく思っているので、たいそうこっそりとほほ笑んで、

 「いとあやしきことをも制しきこえたまひける僧都かな。極楽といふなる所には、菩薩なども皆かかることをして、天人なども舞ひ遊ぶこそ尊かなれ。行ひ紛れ、罪得べきことかは。今宵聞きはべらばや」

 「まことに変なことをお制止申し上げなさった僧都ですね。極楽という所には、菩薩なども皆このようなことをして、天人なども舞い遊ぶのが尊いものだと言います。勤行を怠り、罪を得ることだろうか。今夜はお聞き致したい」

 とすかせば、「いとよし」と思ひて、

 とお世辞を言うと、「とても嬉しい」と思って、

 「いで、主殿のくそ、東取りて」

 「さあ、主殿の君さん、東琴を取って」

 と言ふにも、しはぶきは絶えず。人びとは、見苦しと思へど、僧都をさへ、恨めしげにうれへて言ひ聞かすれば、いとほしくてまかせたり。取り寄せて、ただ今の笛の音をも訪ねず、ただおのが心をやりて、東の調べを爪さはやかに調ぶ。皆異ものは声を止めつるを、「これをのみめでたる」と思ひて、

 と言うにも、咳は止まらない。女房たちは、見苦しいと思うが、僧都をまで、憎らしく不平を言って聞かせるので、お気の毒なのでそのままにしていた。東琴を取り寄せて、今の笛の調子もおかまいなしに、ただ自分勝手に弾いて、東の調子を爪弾きさわやかに調べる。他の楽器の演奏をみな止めてしまったので、「これにばかり聞きほれているのだ」と思って、     

 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」

 「たけふ、ちちりちちり、たりたんな」

 など、掻き返し、はやりかに弾きたる、言葉ども、わりなく古めきたり。

 などと、撥を掻き返し、さっそうと弾いている、その言葉などは、やたらと古めかしい。

 「いとをかしう、今の世に聞こえぬ言葉こそは、弾きたまひけれ」

 「実に素晴らしく、今の世には聞かれぬ歌を、お弾きになりました」

 と褒むれば、耳ほのぼのしく、かたはらなる人に問ひ聞きて、

 と褒めると、耳も遠くなっているので、側にいる女房に尋ね聞いて、

 「今様の若き人は、かやうなることをぞ好まれざりける。ここに月ごろものしたまふめる姫君、容貌いとけうらにものしたまふめれど、もはら、かやうなるあだわざなどしたまはず、埋れてなむ、ものしたまふめる」

 「今風の若い人は、このようなことをお好きでないね。ここに何か月もいらっしゃる姫君は、容貌はとても美しくいらっしゃるようだが、もっぱら、このようなつまらない遊びはなさらず、引き籠もっていらっしゃるようです」

 と、我かしこにうちあざ笑ひて語るを、尼君などは、かたはらいたしと思す。

 と、得意顔に大声で笑って話すのを、尼君などは、聞き苦しいとお思いである。



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