第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る
9. 翌朝、中将から和歌が贈られる
本文 |
現代語訳 |
これに事皆醒めて、帰りたまふほども、山おろし吹きて、聞こえ来る笛の音、いとをかしう聞こえて、起き明かしたる翌朝、 |
これによってすっかり興醒めして、お帰りになる途中も、山下ろしが吹いて、聞こえて来る笛の音も、とても素晴らしく聞こえて、起き明かしていた翌朝、 |
「昨夜は、かたがた心乱れはべりしかば、急ぎまかではべりし。 |
「昨夜は、あれこれと心が乱れましたので、急いで帰りました。 |
忘られぬ昔のことも笛竹の つらきふしにも音ぞ泣かれける |
忘れられない昔の人のことやつれない人のことにつけ 声を立てて泣いてしまいました |
なほ、すこし思し知るばかり教へなさせたまへ。忍ばれぬべくは、好き好きしきまでも、何かは」 |
やはり、もう少し気持ちをご理解いただけるよう説得申し上げてください。堪えきれるものでしたら、好色がましい態度にまで、どうして出ましょうか」 |
とあるを、いとどわびたるは、涙とどめがたげなるけしきにて、書きたまふ。 |
とあるので、ますます困っている尼君は、涙を止めがたい様子で、お書きになる。 |
「笛の音に昔のことも偲ばれて 帰りしほども袖ぞ濡れにし |
「笛の音に昔のことも偲ばれまして お帰りになった後も袖が濡れました |
あやしう、もの思ひ知らぬにや、とまで見はべるありさまは、老い人の問はず語りに、聞こし召しけむかし」 |
不思議なことに、人の情けも知らないのではないか、と見えました様子は、年寄の問わず語りで、お聞きあそばしたでしょう」 |
とあり。珍しからぬも見所なき心地して、うち置かれけむ。 |
とある。珍しくもない見栄えのしない気がして、つい読み捨てたことであろう。 |
荻の葉に劣らぬほどほどに訪れわたる、「いとむつかしうもあるかな。人の心はあながちなるものなりけり」と見知りにし折々も、やうやう思ひ出づるままに、 |
荻の葉に秋風が訪れるのに負けないくらい頻繁に便りがあるのが、「とても煩わしいことよ。男の心はむてっぽうなものだ」と分かった時々のことも、だんだん思い出すにつれて、 |
「なほ、かかる筋のこと、人にも思ひ放たすべきさまに、疾くなしたまひてよ」 |
「やはり、このような方面のことは、相手にも諦めさせるように、早くしてくださいませ」 |
とて、経習ひて読みたまふ。心の内にも念じたまへり。かくよろづにつけて世の中を思ひ捨つれば、「若き人とてをかしやかなることもことになく、結ぼほれたる本性なめり」と思ふ。容貌の見るかひあり、うつくしきに、よろづの咎見許して、明け暮れの見物にしたり。すこしうち笑ひたまふ折は、珍しくめでたきものに思へり。 |
と言って、お経を習って読んでいらっしゃる。心中でも祈っていらっしゃった。このように何かにつけて世の中を捨てているので、「若い女だといっても華やかなところも特になく、陰気な性格なのだろう」と思う。器量が見飽きず、かわいらしいので、他の欠点はすべて大目に見て、明け暮れの心の慰めにしていた。少しにっこりなさるときには、めったになく素晴らしい方だと思っていた。 |