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手習

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語   

7. 中将、小野山荘に来訪   

 

本文

現代語訳

 今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、

 今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに、お立ち寄りになった僧都も、

 「あはれ、山伏は、かかる日にぞ、音は泣かるなるかし」

 「ああ、山伏は、このような日には、声を出して泣けるということだ」

 と言ふを聞きて、「我も今は山伏ぞかし。ことわりに止まらぬ涙なりけり」と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿色々に立ち混じりて見ゆ。山へ登る人なりとても、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方よりありく法師の跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あいなくめづらしきに、この恨みわびし中将なりけり。

 と言うのを聞いて、「わたしも今では山伏と同じである。もっともなことで涙が止まらないのだ」と思いながら、端の方に立ち出て見ると、遥か遠く軒端から、狩衣姿が色とりどりに混じって見える。山へ登って行く人だといっても、こちらの道は、行き来する人もたまにしかいないのである。黒谷とかいう方面から歩いて来る法師の道だけが、まれには見られるが、俗世の人の姿を見つけたのは、場違いに珍しいが、あの恨みあぐねていた中将なのであった。

 かひなきことも言はむとてものしたりけるを、紅葉のいとおもしろく、他の紅に染めましたる色々なれば、入り来るよりぞものあはれなりける。「ここに、いと心地よげなる人を見つけたらば、あやしくぞおぼゆべき」など思ひて、

 今さら言ってもはじまらないことを言おうと思ってやって来たのだが、紅葉がたいそう美しく、他の紅葉よりいっそう色染めているのが色鮮やかなので、入って来るなり感慨深いのであった。「ここに、とても屈託なさそうな人を見つけたら、奇妙な気がするだろう」などと思って、

 「暇ありて、つれづれなる心地しはべるに、紅葉もいかにと思ひたまへてなむ。なほ、立ち返りて旅寝もしつべき木の下にこそ」

 「暇があって、何もすることのない気がしましたので、紅葉もどのようなものかしらと存じまして。やはり、昔に返って泊まって行きたい紅葉の木の下ですね」

 とて、見出だしたまへり。尼君、例の、涙もろにて、

 と言って、外を見やっていらっしゃる。尼君が、例によって、涙もろくて、

 「木枯らしの吹きにし山の麓には

  立ち隠すべき蔭だにぞなき」

 「木枯らしが吹いた山の麓では

  もう姿を隠す場所さえありません」

 とのたまへば、

 とおっしゃると、

 「待つ人もあらじと思ふ山里の

  梢を見つつなほぞ過ぎ憂き」

 「待っている人もいないと思う山里の

  梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです」

 言ふかひなき人の御ことを、なほ尽きせずのたまひて、

 言ってもはじまらないお方のことを、やはり諦めきれずにおっしゃって、

 「さま変はりたまへらむさまを、いささか見せよ」

 「出家なさった姿を、少し見せよ」

 と、少将の尼にのたまふ。

 と、少将の尼におっしゃる。

 「それをだに、契りししるしにせよ」

 「せめてそれだけでも、以前の約束の証とせよ」

 と責めたまへば、入りて見るに、ことさら人にも見せまほしきさましてぞおはする。薄き鈍色の綾、中に萱草など、澄みたる色を着て、いとささやかに、様体をかしく、今めきたる容貌に、髪は五重の扇を広げたるやうに、こちたき末つきなり。

 と責めなさるので、入って見ると、わざわざとでも人に見せてやりたいほどの美しいお姿をしていらっしゃる。薄鈍色の綾、その下には萱草などの、澄んだ色を着て、とても小柄な感じで、姿形が美しく、はなやかなお顔だちで、髪は五重の扇を広げたように、豊かな裾である。

 こまかにうつくしき面様の、化粧をいみじくしたらむやうに、赤く匂ひたり。行ひなどをしたまふも、なほ数珠は近き几帳にうち懸けて、経に心を入れて読みたまへるさま、絵にも描かまほし。

 こまやかに美しい顔だちで、化粧をたいそうしたように、明るくかがやいていた。お勤めなどをなさるにも、やはり数珠は近くの几帳にちょっと懸けて、お経を一心に読んでいらっしゃる様子は、絵にも描きたいほどである。

 うち見るごとに涙の止めがたき心地するを、「まいて心かけたまはむ男は、いかに見たてまつりたまはむ」と思ひて、さるべき折にやありけむ、障子の掛金のもとに開きたる穴を教へて、紛るべき几帳など押しやりたり。

 ちらっと見るたびに涙が止めがたい気がするのを、「まして懸想をなさっている男は、どのように拝見なさっていようか」と思って、ちょうどよい機会だったのか、障子の掛金の側に開いている穴を教えて、邪魔になる几帳などを取り除けた。

 「いとかくは思はずこそありしか。いみじく思ふさまなりける人を」と、我がしたらむ過ちのやうに、惜しく悔しう悲しければ、つつみもあへず、もの狂はしきまで、けはひも聞こえぬべければ、退きぬ。

 「とてもこれほど美しい人だとは思わなかった。ひどく物思いに沈んでいるような人であったが」と、自分が出家させた過ちのように、惜しく悔しく悲しいので、抑えることもできず、気も狂わんばかりの、気持ちを感づかれては困るので、引き下がった。



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