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手習

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語   

8. 中将、浮舟に和歌を贈って帰る   

 

本文

現代語訳

 「かばかりのさましたる人を失ひて、尋ねぬ人ありけむや。また、その人かの人の娘なむ、行方も知らず隠れにたる、もしはもの怨じして、世を背きにけるなど、おのづから隠れなかるべきを」など、あやしう返す返す思ふ。

 「これほどの器量をした人を失って、探さない人があったりしようか。また、誰それの人の娘が、行く方知れずに見えなくなったとか、もしくは何か恨んで、出家してしまったなど、自然と知れてしまうものだが」などと、不思議と繰り返し思う。

 「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたてもおぼえじ」など、「なかなか見所まさりて心苦しかるべきを、忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ」と思へば、まめやかに語らふ。

 「尼であっても、このような様子をしたような人は嫌な感じもするまい」などと、「かえって一段と見栄えがしてお気の毒なはずが、人目を忍んでいる様子なので、やはり自分の物にしてしまおう」と思うと、真剣に話しかける。

 「世の常のさまには思し憚ることもありけむを、かかるさまになりたまひにたるなむ、心やすう聞こえつべくはべる。さやうに教へきこえたまへ。来し方の忘れがたくて、かやうに参り来るに、また、今一つ心ざしを添へてこそ」

 「普通の人の時にはご遠慮なさることもあったでしょうが、このような尼姿におなりになっては、気がねなく申し上げられそうでございます。そのようにお諭し申し上げてください。過去のことが忘れがたくて、このようにやって参ったのですが、さらにまた、もう一つの気持ちも加わりまして」

 などのたまふ。

 などとおっしゃる。

 「いと行く末心細く、うしろめたきありさまにはべるに、まめやかなるさまに思し忘れず訪はせたまはむ、いとうれしうこそ、思ひたまへおかめ。はべらざらむ後なむ、あはれに思ひたまへらるべき」

 「まことに将来が心細く、不安な様子でございますので、真剣な態度でお忘れにならずお訪ねくださることは、とても嬉しく、存じておきましょう。亡くなりました後は、不憫に存じられましょう」

 とて、泣きたまふに、「この尼君も離れぬ人なるべし。誰れならむ」と心得がたし。

 と言って、お泣きになるので、「この尼君も遠縁に当たる人なのであろう。誰なのだろう」と思い当たらない。

 「行く末の御後見は、命も知りがたく頼もしげなき身なれど、さ聞こえそめはべるなれば、さらに変はりはべらじ。尋ねきこえたまふべき人は、まことにものしたまはぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、憚るべきことにははべらねど、なほ隔てある心地しはべるべき」

 「将来のご後見は、寿命も分からず頼りない身ですが、このように申し上げました以上は、けっして変わりません。お探し申し上げなさるはずの方は、本当にいらっしゃらないのですか。そのようなことがはっきりしませんので、気がねすべきことでもございませんが、やはり水くさい気がしてなりません」

 とのたまへば、

 とおっしゃると、

 「人に知らるべきさまにて、世に経たまはば、さもや尋ね出づる人もはべらむ。今は、かかる方に、思ひきりつるありさまになむ。心のおもむけも、さのみ見えはべりつるを」

 「人に知られるような恰好で、暮らしていらっしゃったら、もしや探し出す人もございましょう。今は、このような生活を、決意した様子です。気持ちの向きも、そのようにばかり見えます」

 など語らひたまふ。

 などとお話しになる。

 こなたにも消息したまへり。

 こちらにも言葉をお掛けになった。

 「おほかたの世を背きける君なれど

  厭ふによせて身こそつらけれ」

 「一般の俗世間をお捨てになったあなた様ですが

  わたしをお厭いなさるのにつけ、つらく存じられます」

 ねむごろに深く聞こえたまふことなど、言ひ伝ふ。

 心をこめて親切に申し上げなさることなどを、たくさん取り次ぐ。

 「兄妹と思しなせ。はかなき世の物語なども聞こえて、慰めむ」

 「兄弟とお考えください。ちょっとした世間話なども申し上げて、お慰めしましょう」

 など言ひ続く。

 などと言い続ける。

 「心深からむ御物語など、聞き分くべくもあらぬこそ口惜しけれ」

 「むつかしいお話など、分かるはずもないのが残念です」

 といらへて、この厭ふにつけたるいらへはしたまはず。「思ひよらずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし。すべて朽木などのやうにて、人に見捨てられて止みなむ」ともてなしたまふ。

 と答えて、この嫌っているということへの返事はなさらない。「思いもかけなかった情ないことのあった身の上なので、ほんとうに厭わしい。まったく枯木などのようになって、世間から忘れられて終わりたい」とおあしらいになる。

 されば、月ごろたゆみなく結ぼほれ、ものをのみ思したりしも、この本意のことしたまひてより、後すこし晴れ晴れしうなりて、尼君とはかなく戯れもし交はし、碁打ちなどしてぞ、明かし暮らしたまふ。行ひもいとよくして、法華経はさらなり。異法文なども、いと多く読みたまふ。雪深く降り積み、人目絶えたるころぞ、げに思ひやる方なかりける。

 だから、今まで鬱々とふさぎこんで、物思いばかりしていらしたのも、出家の念願がお叶いになって後は、少し気分が晴れ晴れとして、尼君とちょっと冗談を言い交わし、碁を打ったりなどして、毎日お暮らしになっている。お勤めも実に熱心に行って、法華経は言うまでもない。他の教典なども、とてもたくさんお読みになる。雪が深く降り積もって、人目もなくなったころは、ほんとうに心のやりばがなかった。



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