66. 草は | |
本文 | 現代語訳 |
草は 菖蒲。菰。葵、いとをかし。御代よりして、さるかざしとなりけん、いみじうめでたし。もののさまもいとをかし。おもだかは、名のをかしきなり。心あがりしたらんと思ふに。三稜草。蛇床子。苔。雪間の若草。こだに。かたばみ、綾の紋にてあるも、ことよりはをかし。 | 草はと言えば、菖蒲。菰。葵はたいそう趣き深い。神の御治世よりそのようなかんざしになるのは、素晴らしく立派だ。その葵の葉の形もたいそう趣き深い。おもだかは名に情趣がある。心高ぶる事をするだろうと思うのに。三稜草。蛇床子。苔。雪間の若草。こだに。かたばみは、綾織の紋章にしてあるのも、違ったものよりは趣がある。 |
あやふ草は、岸の額に生ふらんも、げにたのもしからず。いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これはくづれやすからんかし。まことの石灰などには、え生ひずやあらんと思ふぞわろき。ことなし草は、思ふ事をなすにやと思ふもをかし。 | あやふ草は、岸壁に生えてはいるが、まったく頼りにならない。いつまで草は、またはかなく、もの悲しい風情がある。岸壁よりもこれは崩れやすいのではないだろうか。本物の石灰の壁などには決して生えないであろうと思う、それがこの草として具合わるい。ことなし草は、心に決めたことを成すのかと思うのも趣深い。 |
しのぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花もをかし。蓬、いみじうをかし。山菅。日かげ。山藍。濱木綿。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅、いとをかし。 | しのぶ草、大層しみじみしている。道芝、たいそう趣き深い。茅花も趣深い。蓬、たいそう趣き深い。山菅。日かげ。山藍。濱木綿。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅、それぞれたいそう趣き深い。 |
蓮葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は佛にたてまつり、實は数珠につらぬき、念佛して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。 | 蓮の葉は、どの草よりも優れて素晴らしい。妙法蓮華の例えにも、花は仏に捧げ、実は数珠を作り、念仏してこの世を去り、浄土に生まれた時の極楽の縁となる。また、花のない季節に、緑色の池の水に赤く咲くのも、たいそう情趣にあふれている。翠翁紅と、詩に作ったことも納得がいく。 |
唐葵、日の影にしたがひてかたぶくこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。さしも草。八重むぐら。つき草、うつろひやすなるこそうたてあれ。 | 立葵が、日光の影にしたがって傾いていくことは、草木というべきではないという意味であろう。さしも草。八重むぐら。つき草、色があせ易いのは困ったものだ。 |
1 御代よりして、さるかざしとなりけん…賀茂神社の故事。「かざし」は挿頭。草木の花や枝を髪や冠に飾るもの。 2 もののさま…葵の葉そのものの形も。この葵は二葉葵。 3 おもだか…沢瀉(おもだか)。面高(顔が骨ばっていて,鼻なども高い・こと(さま)。)の意に解して興じたもの。 4 心あがり…心のたかぶること。高慢。 5 三稜草。蛇床子…倭名抄、十に蛇床子・三稜草と並んで見える。 7 かたばみ…倭名抄、十「酢漿」を訓読みする。紋様に用いる。 8 こと…能因本「こと物」。他の物の意。 9 あやふ草…未詳。倭訓栞「根無草の類なるべし」。 10 岸の額に生ふらん…倭漢朗詠集、無常、羅維「観身岸額離根草」による。「生ふ」は生ずるの意。 11 いつまで草…八雲御抄「いつまで草は壁に生ふる」。 12 まことの石灰…本物の石灰の壁。漆喰塗の白壁をさす。 13 思ふぞわろき…~と思う、それがこの草として具合わるい。 14 事をなす…事無し、事成し、いずれにも解されるが、ここの文意よりは後者と見られる。なお能因本には「をかし」のあとに「又あしきことをうしなふにやといづれもおかし」とある。 141 しのぶ草…【名詞】①しだ類の一種。のきしのぶ。古い木の幹や岩石の表面、古い家の軒端などに生える。[季語] 秋。②「忘れ草」の別名。③思い出のよすが。▽「偲(しの)ぶ種(ぐさ)」の意をかけていう。 142 道芝…【名詞】①道ばたに生えている芝草。②人を導いて案内する人のたとえ。 143 茅花…【名詞】ちがやの花。ちがや。つぼみを食用とした。「ちばな」とも。[季語] 春。 144 蓬…【名詞】①野草の名。若葉は食用に、生長した葉の裏の綿毛は灸(きゆう)のもぐさとして用いる。荒廃した住居を描写する際の代表的な雑草の一つともされている。[季語] 春。②襲(かさね)の色目の一つ。表は萌葱(もえぎ)、裏は濃い萌葱。一説に、表は白、裏は青とも。五月に用いる。 145 山菅…【名詞】①山野に自生している菅(すげ)(=植物の名)。根が長く、葉が乱れていることを歌に詠むことが多い。◆「やますが」とも。②やぶらん(=野草の名)の古名。 15 日かげ…倭名抄、五「蘿鬘 比加介加都良」。「日かげ」は略称。さがりごけとも。大嘗会に冠に垂らす。 16 山藍…葉を染料とし、大嘗会等の斎衣を染める。 17 葛…山野に自生する蔓草。蔓で籠などを編む。 171 青つづら…【名詞】山野に生える、常緑のつる草。つるが長いので繰ることから、歌では同音の「くる」を導き出す序詞として用いられる。 172 なづな…【名詞】「春の七草」の一つ。なずな。実が三味線のばちに似ることから「ぺんぺん草」ともいう。[季語] 春。 18 苗…この項は能因本・前田本にない。苗というからには稲の苗であろう。 181 浅茅…【名詞】荒れ地に一面に生える、丈の低いちがや。 19 妙法蓮華…衆生済度の妙法を蓮華に譬えていう語。 20 翠翁紅…出典未詳。 21 唐葵…花葵・立葵の古名。 22 さしも草…よもぎの異名。葉でもぐさを製し灸に使う。 23 八重むぐら…茜科の草本の名。また雑草の繁茂したさま。 24 つき草…つゆ草の古名。花を青色の染料とする。 |
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