67. 草の花は | |
本文 | 現代語訳 |
草の花は なでしこ。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなへし。桔梗。あさがほ。かるかや。菊。壺すみれ。龍膽は、枝ざしなどもむつかしけれど、こと花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。また、わざととりたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花らうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど、藤の花といとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。 | 草花は、なでしこが良い。唐なでしこ(石竹)はいうまでもなく、大和なでしこ(河原なでしこ)も大層立派だ。女郎花。桔梗。朝顔。刈萱。壺菫。りんどうは、枝の具合などもむさくるしいが、他の花たちがみな霜に枯れているのに、たいそう華やかな色合いで咲いているのは、たいそう趣きがある。また、わざわざ取り立てて人間扱いはできそうにない恰好だが。葉鶏頭の花は可愛らしい。名も見苦しくあるようだ。雁の来る花と、文字には書かれる。「かにひ」の花は、いろは濃くないが、藤の花とたいそうよく似て、春と秋両方に咲くというのも趣深いことだ。 |
萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、さ牡鹿のわきて立ち馴らすらんも、心ことなり。八重山吹。 | 萩は、たいそう色鮮やかに、枝しなやかに咲いているが、朝露に濡れてなよなよとひろがり伏しているのは、牡鹿がとりわけて立ち馴らすというのも格別の感じだ。八重山吹。 |
夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、實のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはた生ひ出でけん。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。しもつけの花。葦の花。 | 夕顔は、花の形も朝顔に似て、朝顔夕顔と続けてよぶと、いかにも面白そうな花の姿に対して、実の様子は、大変残念だ。何でまたそう不恰好に生まれついたのだろう。せめてほうずきなどの大きさであればよいのにね。しかし、また夕顔という名ばかりは趣がある。しもつけの花。葦の花。 |
これに薄を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂さきの蘇枋にいと濃きが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもなく散りたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるも知らず、むかし思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。 | 以上「草の花は」の段にすすきを入れないのは甚だけしからんと人は言うようだ。秋の野原の全体的なおもしろさは、何といっても薄だ。穂先の蘇枋色で大層濃いのが、朝露に濡れてたなびいているのは、それほどの風情が他にあろうか。秋の終り方こそ、それは見がいがない。色とりどりに咲き乱れていた花が、跡形もなく散ってしまったあとに、冬の末まで、頭がとても白く乱れ広がったのにも気づかず、昔を思ったかのように風になびいて立っているのは、人にたいへん似ているものだ。誰かによそえる気持があるので、特にあわれと思うのだろう。 |
2 桔梗…万葉集では桔梗。異説も多い。平安時代に入り槿(むくげ)の異名、やがて牽牛子(けにごし)の称となって今日に至る。ここも第三の意。 4 こと花…異花。すなわち他の花。 6 かまつかの花…つゆ草のこととも、葉鶏頭のことともいう。 7 雁の来る花…雁来紅とすれば葉鶏頭をさすこととなる。 8 かにひの花…岩菲(がんぴ)の転かという。仙翁花。春咲きと秋咲きとあるが藤の花には似ていない。一説に「藤」は「ふし」の誤りかとする。 9 さ牡鹿の…「さ」は接頭語。後撰集、六秋中、貫之「さ牡鹿の立ち馴らす小野の秋萩に置ける白露われも消ぬべし」。 11 實のありさま…夕顔の実は大きく円形またはやや長い。 21 よそふる心ありて…能因本に「よそふるずありて…」、堺本には「よそふる心ありてあやまりてそれをしもぞ…」とある。 |
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