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7. 世にしたがえば

本文

現代語訳

語彙

すべて世の中のありにくく、わが身と栖とのはかなくあだなるさま、またかくのごとし。いはむや、所により、身の程にしたがひつつ、心を悩ます事は、あげて 計むべからずもしおのれが身数ならずして権門のかたはらにをる者は、深くよろこぶ事あれども、大きに楽しむに能はず。歎き切なる時も、声をあげて泣く事なし。進退やすからず。起居につけて、恐れをののくさま、たとへば雀の鷹の巣に近づけるがごとし。

一事が万事、世の中が生きにくいもので、自分の一身と、その住みかとがたよりなく、徒労になることは、この地震を考えてみてもわかる。まして、環境や、身分に従って、誰にもそれぞれの悩みがあることは、数えきれないほどだ。かりに自分が人に数えられるような、ひとかどの存在でもなくて、勢力のある大きな家の隣にいたとして、うれしいことがあっても、思いきって祝うことができない。悲しくてならないときも、泣きわめくことさえしない。身の振り方、動作の一つ一つにまで気をつかうこと、雀が鷹の巣のそばにいるようなものだろう。

はかなし【果無し・果敢無し】…【形ク】@頼りない。むなしい。あっけない。Aちょっとしたことだ。何ということもない。B幼い。たわいない。C粗末だ。取るに足りない。

いはむや【況むや】…【副詞】まして。なおさら。「いはんや」とも。

 

 

 

 

 

けんもん権門】…官位が高くて権勢の盛んな家柄。また、その家。

 

 

 

 

 

しんたい【進退】…【名詞】@進むことと退くこと。また、進めることと退けること。進退(しんたい)。A一挙一動。立ち居振る舞い。ここではAの意。

 

   

もし貧しくして富める家の隣にをる者は、朝夕すぼき姿を恥ぢて、へつらひつつ出で入る。妻子僮僕の羨めるさまを見るにも、福家の人のないがしろなるけしきを聞くにも、心念念に動きて、時として安からず。もし狭き地にをれば、近く炎上ある時、その災をのがるる事なし。もし辺地にあれば、往反わづらひ多く、盗賊の難はなはだし。またいきほひある者は貪欲深く、独身なるものは人に軽めらる。財あればおそれ多く、貧しければ恨み切なり。人を頼めば身他の有なり。人をはぐくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。したがはねば狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

もし、貧乏で、富裕な家の隣に住んだとしよう。朝に晩に、みすぼらしい自分の姿が恥ずかしく、出入りにも隣人にお世辞を言う。妻子や召使の男が、隣の家の生活を羨ましがっているのを見たり、裕福な家の者ないがしろにするにつけても、心が、時々刻々と動いて、一時として安らかになれない。また、人家の密集している地域に住んだとすれば、近くに火事があったとき、類焼をまぬかれない。もし、辺鄙な所に住めば都心との行き帰りが厄介だし、強盗が多い。また、勢力のある人に頼ろうとすると、そういう人は欲が深く、だからといって、誰にもつながりを持たないと、軽く見られる。財産があれば心配が多いし、貧乏でいれば、歯がみする。人を頼みにすれば、いいなりになってしまう。人を養うと、今度は愛情に振りまわされて疲れてしまう。世間に従って生きようとすれば、自分が苦しい。従わなければ、気違い扱いをされる。ああ、一体、どんな場を占めて、何をして暮らしたら、しばらくでも、この身、この心を安らかにすることができるのか。

 

 

すぼし【窄し】…【形ク】@すぼんで細い。狭い。Aみすぼらしい。肩身が狭い。ここではAの意。

へつらふ【諂ふ】…追従(ついしよう)する。お世辞をいう。相手に気に入られるように振る舞う。

 

 

ねんねん【念念】…【名詞】@一瞬間一瞬間。時々刻々。A一つ一つの思い。ここでは@の意。

 

 

 

わうばん【往反・往返】…【名詞】※「す」が付いて自動詞(サ行変格活用)になる。往復すること。行き帰り。往来。往復。「わうへん」とも。

 

 

 

 

 

 

 

おんあい【恩愛】…【名詞】親子・夫婦・兄弟などの間の情愛。いつくしみ。情け。「おんない」とも。

 

 

 


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1 はかなく…むなしい、実らない、花ばかりのことをいう。

2 また…他の主要な諸本には、ここの「また」がない。

3 あげて…全部の例をあげて、の意。

4 計むべからず…原文「不可計」。嵯峨本では「かぞふべからず」であるが、ずぐ次にまた「もしおのれが身数ならずして」とかさなるのだから「計ふべからず」「数ならず」では、あまりにつたない文章にもなろう。

5 もし…以下、仮定的な述べ方になってゆく。

6 進退…もとの意味は社会的に各自の位置を退くとか動くとかすることであるが、ここでは隣家との人間関係、つきあい方をいっている。

7 すぼき…「すぼし」は、元来すぼまって狭い形容。ここでは、みすぼらしい。

8 僮僕…召使の少年。下男。

9 時として…一時として、の意。

10 人を頼めば身他の有なり…人をたよりにし、あてにすると、どうしてもその人のいうことをきかなければならなくなるから、この身(自分)は、他(他人)の有(所有)になってしまって、奴隷にはされなくても自分の精神的自由を失う。逆に、人を養い育てれば、どうしてもその人をかわいがるようになるから、今度は何でもその人を中心に考えるようになり、自分がその人の召使にはならないまでも、自分から求めて自分の精神の自由を、やはり失うことになる。『荘子』山木篇の「人ヲ有スル者ハ累シミ、人ニ有セラルル者ハ憂ウ」からきている考え方のようである。

11 したがはねば狂せるに似たり…常識を持ってしないように人から思われる。

12 しばしもこの身を宿し、たまゆら…しばらく。ほんの少しの時間。「たま」は「玉」、「ゆら」は揺れるの「ゆら」か。


 

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