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10. 境涯

本文

現代語訳

語彙

今日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南竹の簀子を敷き、その西に閼伽をつくり、北によせて障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法花経を置けり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠を置けり。すなはち和哥管絃往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴 継琵琶これなり。仮の庵のありやうかくのごとし。

今、この日野山の奥に隠棲してから、方丈の東に三尺ばかりの庇をつけて、土間を造り、そこにかまどを置き、柴を折りくべて火を起こすとき、雨にぬれないようにした。南には竹の簀子を敷き、その西の隅に閼伽棚を作り、西北の隅は、衝立で仕切って、仏間とし、阿弥陀の絵像と普賢菩薩の像とを掛け、前の経机には法華経を置いた。東の半分は、蕨のほどろを敷きつめて、夜、寝る場所にした。西南隅には、竹のつり棚を作って黒い皮籠を三箱置いた。和歌の本や、管絃の木や、『往生要集』のような抄物が入れてある。そのそばに琴が一つと、琵琶が一つ、立ててある。いわゆる折り琴、継ぎ琵琶―組立て式の琴であり琵琶である。仮の庵の有様は、だいたい、こんなふうだ。

あとをかくす【跡を隠し】…行方の知れないようにする。俗世間を離れ隠遁する。

ひさし【廂】【】…【名詞】…@寝殿造りで、母屋(もや)の外側、「簀(す)の子」の内側の部分。区切って部屋を設ける。簀の子より一段高く、母屋より少し低く造られ、天井はない。廂までが家の中になる。「廂の間(ま)」ともいう。A建物や牛車(ぎつしや)などの出入り口、縁側、窓、塀などの上に設けた小屋根。ここではAの意。

あかだな【閼伽棚】…仏に供える水や花などを置く棚。「あかのたな」とも。

ふげん【普賢】…【名詞】「普賢菩薩(ぼさつ)」の略。文殊(もんじゆ)菩薩と共に釈迦(しやか)の脇にひかえる菩薩。単独では白象に乗る姿をとる。慈悲や延命の功徳を備えるとされる。普賢延命菩薩。◆仏教語

かはご【皮籠】【革籠】…【名詞】まわりを獣の皮革で張り包んだ籠(かご)。のちには、紙張りのものや竹で編んだものもいう。

わうじやうえうしふ【往生要集】…【書名】仏教書。源信(げんしん)著。平安時代中期(九八五)成立。三巻。〔内容〕極楽往生や念仏の教えがまとめられており、浄土教の成立をうながした書。また地獄の解説は和歌・物語・謡曲など文学にも影響を与えた。

   

 その所のさまをいはば、南に懸樋あり、岩を立てて水をためたり。林の木近ければ、爪木をひろふに乏しからず。名を音羽山といふまさきのかづら跡埋めり。谷しげけれど西晴れたり。観念のたよりなきにしもあらず

その方丈の周囲を説明すると、南には、懸樋があって、石槽に貯水される。林が近いから、薪にする小枝を拾うのに不自由はしない。名を音羽山という。『古今集』にいう「まさきのかづら」が、生い茂っている。谷はあちこちにあるが、西の方は山がなく見晴らしがきく。西方浄土に往生しようという気持を起こさせる端緒とならないものでもない。

かけひ【懸樋、筧】…【名詞】竹や木を地上に掛け渡して水を引く樋(とい)。

 

つまぎ【爪木】…【名詞】薪にする小枝。また、木っ端(ぱ)。木ぎれ。

 

 

 

なきにしもあらず 【無きにしもあらず】…【連語】必ずしもないというわけではない。【成り立ち】形容詞「なし」の連体形+断定の助動詞「なり」の連用形+副助詞「しも」+ラ変動詞「あり」の未然形+打消の助動詞「ず」

   

 春は藤波を見る。紫雲のごとくして西方ににほふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに死出の山路を契る。秋はひぐらしの声耳に満てり。うつせみの世をかなしむほど聞ゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。もし念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独りをれば口業を修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ何につけてか、破らん。

 春は藤の花が美しい。紫の雲のように、西をいろどる。夏は、ほととぎすが鳴く。いわゆる「死出の田長」だ。そのときは、よろしく頼むよ、という親しい気持になる。秋は、ひぐらしが、あきるほど、鳴きしきる。この世に生きていることを悲しんでいるのではないかと思うくらいだ。冬は雪がいい。積もっては消える姿が、人の罪障にもたとえられそうだ。もし、念仏をするのがおっくうで、まめまめしく読経もする気にならぬときは、今日は休もうと思い、自分で自分がなまけることを許してしまう。そうしてはいけないと言う人もなく、誰に恥ずかしいということもない。わざと無言の行をするわけではないけれども、一人でいれば、口が災いするということもない。仏教の五戒・十戒の規律を守ろうと努力しなくとも、環境に原因がないから破戒しようがない。

ふぢなみ【藤波、藤浪】…【名詞】@藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。A藤原(ふじわら)氏のたとえ。ここでは@の意。

しうん【紫雲】…【名詞】紫色の雲。めでたいことのしるしの雲とされる。また、臨終の念仏行者を極楽浄土へ迎えるために、阿弥陀仏(あみだぶつ)が二十五菩薩(ぼさつ)と共に乗って現れるのも紫雲である。

うつせみの…【枕詞】この世(の人)の意で、「世(よ)」「人」「命」「身」にかかる。

ざいしゃう【罪障】…往生・成仏の妨げとなる悪い行為。◆仏教語。

 

 

 

 

 

 

 

むごん【無言】…【名詞】@物を言わないこと。黙っていること。A「無言の行(ぎやう)」の略。口をきかず、ひたすら精神を統一する修行。◆仏教語。ここではAの意。

   

 もし跡の白波にこの身を寄する朝には、岡の屋に行き交ふ船をながめて満沙弥が風情をぬすみ、もし桂の風葉を鳴らす夕には、尋陽の江を思ひやりて源都督のおこなひをならふ。もし余興あれば、しばしば松のひびきに秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとり調べ、ひとり詠じて、みづからをやしなふばかりなり。

 もし、老いの寝ざめに、世の中のことはわからないと思ったような朝は、宇治川の岸の岡屋に来り去る船を眺めて、『拾遺集』の沙弥満誓の歌を思い出し、あるいはまた、風が桂の葉を鳴らすとでもいう夕べには、「楓葉荻花秋瑟々」の琵琶行(白楽天)や、太宰府に薧じた桂大納言(源経信)のことを思い出して、琵琶を弾じてみる。それでも興が尽きないときは、松風の中で秋風楽を、懸樋を落ちる水音とともに流泉の曲を弾く。琵琶はうまくはないが、人に聞かせようというのではない。ひとりで調子をととのえ、ひとりで歌って、自分の気持が虚無的にならないようにしているだけのことだ。

あとのしらなみ【跡の白波】…船の跡に立つ白波が瞬く間に消えゆくことに、人生の無常、はかなさを例える。また「あとしらなみ」の形で、「しらなみ」に「知らない」の意をかけ、去ったあとが知れないの意としても使われる。

 

 

 

こうず【薨じ】…【自サ変】お亡くなりになる。▽「死ぬ」の尊敬語。皇太子・親王・女御(にようご)・大臣や、三位以上の人に用いる。


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1 閼伽棚…「あか」は梵語で供養の意。仏前に供える水(あかの水)や、その容器(あか坏)や、花などを置く棚をいう。

2 北によせて…西北隅は戌亥の隅の信仰によって重視される所(三谷栄一『日本文学の民俗学的研究』)。

3 蕨のほどろ…春のさわらびが採られずに伸びすぎたもの。こうして方丈の東半分を寝床にすると頭北面西右脇臥の形で涅槃像のように寝られる。

4 皮籠…必ずしも皮製ばかりでなく、つづらの類一般にもいう。

5 …「合」は盒。ふたのある物、箱などを数えるのに用いる。

6 抄物…抜き書き、注釈の類。

7 折琴…折りたたみのできる琴。

8 継琵琶…柄が取りはずせる琵琶。

9 爪木…薪にする木の小枝。

10 名を音羽山といふ…前田本「名をとやまといふ」。

11 まさきのかづら跡埋めり…「深山には霰降るらし外山なるまさきのかづら色つきにけり」(古今・神遊びの歌)や『古今集』仮名序の末尾の「まさきの葛長く伝はり」などでおなじみの、あの葛だという気持で書いているらしい。その「まさきのかづら」のつるが人の通った跡を埋めて道をなくしてしまうほど低くはい回っているというのであろう。

12 観念のたより…ひたすら仏を思い、それに精神を統一すること。浄土宗では、唐の善導に「観念法門」の著がある。

13 死出の山路を契る…「いくばくの田を作ればかほととぎす死出の田長を朝な朝な呼ぶ」(古今・誹諧歌 藤原敏行)、「しでの山こえてきつらむほととぎすこひしき人のうへかたらなむ」(拾遺集・哀傷 伊勢)などからみると、ほととぎすを冥途の案内人といったような意味で使っているらしい。何か野鳥説話が背景にあったのだろう。「契る」は約束する。

14 積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし…「大品般若は春の水罪障氷の解けぬれば、万法空寂の波たちて 真如の岸にぞ寄せかくる」(梁塵秘抄)は、氷を罪障にたとえている。当時、こういう発想が流行していたのかもしれない。

15 口業…口のなすところ(言語)すべて。身業・口業・意業を三業といい、それで人間の行為一切を総称する。

16 境界…境遇、環境の意。

17 この身を寄する朝…「世の中をなににたとへむ朝ぼらけこぎゆく舟のあとのしら浪」(拾遺・哀傷)という沙弥満誓の歌(『万葉集』三五一が原形)によって書いている。

18 岡の屋…宇治市宇治川の東岸にある。

19 満沙弥…俗名笠朝臣麻呂。八世紀初めの人。美濃守として木曾路の開通に努力。後、元明上皇の病気平癒を願って出家、満誓と名のった。万葉歌人。

20 尋陽の江…白楽天の「琵琶行」が「潯陽江頭夜客ヲ送ル 楓葉荻花秋瑟々」で始まっていることを引く。「楓」は古く「かつら」とよんだ。

21 源都督…源経信。後拾遺時代の歌壇の長老。俊頼の父。俊恵の祖父。家が桂の里にあったので桂の大納言といわれたらしい。琵琶のほうでも当代の名手。

22 秋風楽…雅楽の、琴の曲名。

23 流泉…琵琶の秘曲の名。『今昔物語集』巻二十四の三十二話に源博雅が、秘曲「流泉・啄木」を聞こうとして、蝉丸の庵のほとりを夜な夜々徘徊する話がある。『無名抄』の「関明神の事」にも蝉丸のことが崇敬の念をもって記されており、このあたりは蝉丸の故事を頭に浮かべながら書いているのではなかろうか。

24 …原文、「情」の右に「コゝロ」とふりがながある。