38. 池は | |
本文 | 現代語訳 |
池は かつまたの池。磐余の池。贄野の池、初瀬にまうでしに、水鳥のひまなくゐてたちさわぎしが、いとをかしう見えしなり。 | 池は、かつまたの池。磐余の池。贄野の池は、長谷寺にお参りに来た際に、水鳥が隙間なくいて、激しく騒いでいるのが、たいそう趣き深く見えている。 |
水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならんとて問ひしかば、「五月など、すべて雨いたうふらんとする年は、この池に水といふものなんなくなる。また、いみじう照るべき年は、春のはじめに水なんおほくいづる」といひしを、「むげになくかはきてあらばこそさもいはめ、出づるをりもあるを、一すぢにもつけけるかな」といはまほしかりしか。 | 水なしの池などとは、おかしい。どうしてそのよう名をつけたのかと問うてみると、「五月など、来る日も来る日も雨が大層降るという年は、この池には水という水は、無くなってしまう。また、大変な日照りの年には、春の初めに水が多く湧き出す」と、言うのであるが、「全然水が無く乾いているならそうもいおう。だが、水がわくこともあるのに、どうして片方の名だけつけるのであろうか」と、言いたくもなる。 |
猿澤の池は、采女の身投げたるをきこしめして、行幸などありけんこそ、いみじうめでたけれ。「ねくたれ髪を」と人丸がよみけん程など思ふに、いふもおろかなり。 | 猿澤の池は、采女が、その身を投げたことをお聞きになって、行幸されたことなどある事こそ、大変喜ばしい話だ。「ねくたれ髪を」と、柿本人麻呂が詠んだことなどを思うと、言葉では語りつくせない。 |
おまへの池、またなにの心にてつけけるならんとゆかし。かみの池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならん。こひぬまの池。はらの池は、「玉藻な刈りそ」といひたるも、をかしうおぼゆ。 | おまへの池は、またどういうつもりで名付けたのかのかと心ゆかしい。かみの池。狭山の池は、三稜草を詠った歌が趣深くて覚えている。こひぬまの池。はらの池は、「玉藻な刈りそ」と、詠われているので、趣深く思える。 |
〔13〕「山は」に準ずる分類の段。名称の興味、故事・古歌に名高いもの等を挙げる。 1 かつまた…大和国添下郡。万葉集で名高い。 2 磐余…大和国十市郡。一名埴安(はにやす)の池。 3 贄野…山城国相楽郡。蜻蛉日記・更級日記などにも見える。 4 初瀬…長谷寺。大和国磯城郡初瀬にある。 5 水なし…所在未詳。 6 むげになくかはきてあらばこそさもいはめ…全然水が無く乾いているならそうもいおう。「なく」は「水なく」の意か。但し能因本「むげになべて」、前田本「げになべて」。 7 猿澤…大和国奈良。 75 采女の身投げたる…采女の身を投げた話は大和物語に見える。采女はウネメともいい、天皇に侍して飯饌をつかさどった女官。 8 ねくたれ髪を…寝て乱れた髪。大和物語・拾遺集、二十哀傷、人麿「わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞかなしき」。 9 おまへ…所在未詳。 10 かみ…所在未詳。能因本・前田本「かゝみの池」。堺本にはこの一句がない。 11 狭山…武蔵国北多摩郡狭山。古今六帖、六に「恋すてふ(一本武蔵なる)狭山の池の三稜草こそ引けば絶えすれ我やねたゆる」とある。 12 こひぬま…所在未詳。「恋ひぬ間」の意か。 13 はら…未詳。一説武蔵国幡羅郡。風俗歌に「をしたかべ鴨さへ来ゐるはらの池のや、玉藻は真根な刈りそや、生ひもつぐがにや」とある。 |
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