73. しのびたる所にありては
本文 |
現代語訳 |
語彙 |
しのびたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじくみじかき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、すずしく見えわたされたる。なほいますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへなどする程に、ただゐたる上より、烏のたかく鳴きていくこそ、顕證なる心地してをかしけれ。 |
人目を忍んで人と逢っている所では、夏こそ趣深い。大変短い夜が明けてしまって、つい一睡もしないでしまう。昨夜からそのままどこも皆開け放しなので、涼しく見え渡される。なお、今少し言うべきことがあるならば、互いに応答などするうちに、二人が座っているすぐ上から、カラスが高く鳴いていくことこそ、すっかり見られた気がして情趣がある。 |
ぬる…完了の助動詞「ぬ」の連体形。 やがて…【副詞】@そのまま。引き続いて。Aすぐに。ただちに。Bほかでもなく。とりもなおさず。Cそっくり。そのまま全部。Dまもなく。そのうち。いずれ。 かたみに【互に】…【副詞】たがいに。かわるがわる。 |
また、冬の夜いみじうさむきに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうにきこゆる、いとをかし。鳥の聲も、はじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじう物ふかくとほきが、明くるままにちかくきこゆるもをかし。 |
また、冬のあるたいそう寒い夜に、寝具に埋もれるように寝て聞くのに、鐘の音が、ただ物の底が鳴っているように聞こえるのも趣がある。鳥の声も、はじめは羽根のうちに鳴くが、口をいっぱいにしながら鳴くと、大層ふかぶかとして遠い声が、夜が明けるとともに、近くに聞こえるというのもまた情趣がある。 |
こむ【込む】【籠む】…【他マ四】詰め込む。押し込む。 |
暁の情趣を季節の対照において描く。
8 うづもれ臥して…夜具に埋もれるように寝て。この前、能因本には「思ふ人と」、堺本・前田本には「思ふ人とうちかさねて」とある。
9 鳴くが…鳴くのが。この一句、三巻本以外にはない。