上の御局の御簾の前にて、殿上人、日一日琴笛吹き、遊びくらして大殿油まゐるほどに、まだ御格子はまゐらぬに、大殿油さし出でたれば、戸のあきたるがあらはなれば、琵琶の御琴をたたざまに持たせ給へり。くれなゐの御衣どもの、いふも世のつねなる袿、また、張りたるどもなどをあまた奉りて、いとくろうつややかなる琵琶に、御袖を打ちかけて、とらへさせ給へるだにめでたきに、そばより、御額の程の、いみじうしろうめでたくけざやかにて、はづれさせ給へるは、たとふべきかたぞなきや。ちかくゐ給へる人にさしよりて、「なかば隠したりけんは、えかくはあらざりけんかし。あれはただ人にこそありけめ」といふを、道もなきにわけまゐりて申せば、わらはせ給ひて、「別れは知りたりや」となんおほせらるる、とつたふるもをかし。 |
弘徽殿の上の御局の御簾の前で、殿上人が 一日中琴を弾き笛を吹き、合奏しくらして、大殿油(寝殿用の灯火)をともす時分に、まだ御格子は下ろさないところに、大殿油をともすと、戸の開いているのがあらわなので
、中宮が琵琶をたてにして持っておられるのが見えた。とても言葉には表わせない袿や、また板張りにして光沢を出した衣の類を何枚もご着用されて、とても黒くつややかな琵琶に、お袖を打ちかけて、抱えていらっしゃるだけでも立派なのにそのわきから、御額のあたりが、大層白く美しく、くっきりとのぞいて見えられたのは、何にたとえようもないすばらしさだ。近くに坐っておられた身分の高い女房に差し寄って「半ば面を隠したという女性も、まさかこれ程ではなかったでしようね。あれは平民だったでしょうから。」その女房は通り路もないのに人群れを分けお側に参上してそれを申しあげると、お笑いになって、「もう別れる時ですね、知ってますか。」などとおっしゃると、その女房が私に伝えてくれたのも面白い。
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