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絵合(ゑあはせ)あらすじ

  前斎宮には、源氏と藤壺中宮との計画で、入内が決定した。然し、朱雀院が、前斎宮に対する愛着の根は深く長い。入内が知られて、哀愁も一入の朱雀院は、御祝を贈られた。その中の櫛箱の心葉に、伊勢下向の日から、斎宮に対する執心の趣の一首が書いてあった。源氏はそれを見て、入内を企てた心の鬼に、悩まされた。

 前斎宮は入内して、梅壺女御となった。冷泉帝は、絵に御趣味が深い。梅壺女御も弘徽殿女御も、絵に趣味があって、描いたり集めたりする。それが、自然に競争的となった。弘徽殿女御を、父権中納言が、躍気となって後援する。そうして描かせたり集めたりした絵も、弘徽殿女御以外には、冷泉帝にすら閲見を禁止した。帝から、梅壺女御に画題や構図の漏れる事を、極度に恐れた故であろう。それを見て源氏は、一層、梅壺に後援する。それから、藤壺中宮主唱の第一回絵合が挙行せられた。

 その後は、源氏の主唱で、冷泉帝の御前に、第二回の絵合が挙行せられた。朱雀院は、年中行事の節会の絵巻に、新しく斎宮下向の儀式を描き加えさせて、梅壺女御に贈られた。御前の絵合は盛況であったが、すべては源氏の須磨の絵日記に圧倒せられて、左が勝った。

 御前の絵合の後に、竟宴があった。源氏は弟の帥宮と、少年時代の追憶談をした。桐壺院は、「命と幸と両立しない」からとて、文才よりも本才に力を入れて学習させられた。本才中でも源氏は、音楽が優秀であったが、絵も抜群とは、夢にも思わなかったと、帥宮は賞讃した。この談話の中には、盈虚思想に支配せられた人生観がある。この思想によって、源氏に出家の兆候が、現れ始めるようになった。



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