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松風

第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会

4. 源氏、大堰山荘で寛ぐ

 

本文

現代語訳

 繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに仰せらる。桂の院に渡りたまふべしとありければ、近き御荘の人びと、参り集まりたりけるも、皆尋ね参りたり。前栽どもの折れ伏したるなど、繕はせたまふ。

 修繕なさるべき所を、ここの宿守りや、新たに加えた家司などにお命じになる。桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で、参集していたのも、みなこちらに尋ねて参った。前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。

 「ここかしこの立石どもも皆転び失せたるを、情けありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。かかる所をわざと繕ふも、あいなきわざなり。さても過ぐし果てねば、立つ時もの憂く、心とまる、苦しかりき」

 「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。このような庭をわざわざ修繕するのも、つまらないことです。そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのも、つらいことであった」

 など、来し方のことものたまひ出でて、泣きみ笑ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。

 などと、昔のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりして、くつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。

 尼君、のぞきて見たてまつるに、老いも忘れ、もの思ひも晴るる心地してうち笑みぬ。

 尼君、のぞいて拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。

 東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、繕はせたまふとて、いとなまめかしき袿姿うちとけたまへるを、いとめでたううれしと見たてまつるに、閼伽の具などのあるを見たまふに、思し出でて、

 東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣、修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、閼伽の道具類があるのを御覧になると、お思い出しになって、

 「尼君は、こなたにか。いとしどけなき姿なりけりや」

 「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。まことみっともない姿であったよ」

 とて、御直衣召し出でて、たてまつる。几帳のもとに寄りたまひて、

 とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。几帳の側にお近寄りになって、

 「罪軽く生ほし立てたまへる、人のゆゑは、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ。いといたく思ひ澄ましたまへりし御住みかを捨てて、憂き世に帰りたまへる心ざし、浅からず。またかしこには、いかにとまりて、思ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」

 「罪を軽めてお育てなさった、その人の原因は、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ち、深く感謝します。またあちらには、どのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」

 と、いとなつかしうのたまふ。

 と、たいそう優しくおっしゃる。

 「捨てはべりし世を、今さらにたち帰り、思ひたまへ乱るるを、推し量らせたまひければ、命長さのしるしも、思ひたまへ知られぬる」と、うち泣きて、「荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先と、祝ひきこえさするを、浅き根ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽くされはべる」

 「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると、嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」

 など聞こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語に、親王の住みたまひけるありさまなど、語らせたまふに、繕はれたる水の音なひ、かことがましう聞こゆ。

 などと申し上げる感じ、風情がなくもないので、昔話に、親王が住んでいらっしゃった様子など、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。

 「住み馴れし人は帰りてたどれども

   清水は宿の主人顔なる」

 「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが

   遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています」

 わざとはなくて、言ひ消つさま、みやびかによし、と聞きたまふ。

 わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。

 「いさらゐははやくのことも忘れじを

   もとの主人や面変はりせる

  あはれ」

 「小さな遣水は昔のことも忘れないのに

   もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか

  ああ、懐かしい」

 と、うち眺めて、立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず、とのみ思ひきこゆ。

 と、ちょっと眺めて、お立ちになる姿、美しさを、世の中に見たこともない、とばかり思い申し上げる。



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