第三章 明石の物語 桂院での饗宴
3. 饗宴の最中に勅使来訪
本文 |
現代語訳 |
おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊び始まりて、いと今めかし。 |
各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。 |
弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。 |
弾楽器は、琵琶、和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。 |
上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、 |
殿上の間に仕えていたが、管弦の御遊があった折に、 |
「今日は、六日の御物忌明く日にて、かならず参りたまふべきを、いかなれば」 |
「今日は、六日の御物忌みの明ける日なので、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」 |
と仰せられければ、ここに、かう泊らせたまひにけるよし聞こし召して、御消息あるなりけり。御使は、蔵人弁なりけり。 |
と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。 |
「月のすむ川のをちなる里なれば 桂の影はのどけかるらむ うらやましう」 |
「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので 月の光をゆっくりと眺められることであろう 羨ましいことです」 |
とあり。かしこまりきこえさせたまふ。 |
とある。恐縮申し上げなさる。 |
上の御遊びよりも、なほ所からの、すごさ添へたるものの音をめでて、また酔ひ加はりぬ。ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大堰に、 |
殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大堰に、 |
「わざとならぬまうけの物や」 |
「ことごとしくならない引き出物はないか」 |
と、言ひつかはしたり。取りあへたるに従ひて参らせたり。衣櫃二荷にてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の装束かづけたまふ。 |
と言っておやりになった。有り合わせの物を差し上げた。衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。 |
「久方の光に近き名のみして 朝夕霧も晴れぬ山里」 |
「桂の里といえば月に近いように思われますが それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です」 |
行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし。「中に生ひたる」と、うち誦んじたまふついでに、かの淡路島を思し出でて、躬恒が「所からか」とおぼめきけむことなど、のたまひ出でたるに、ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし。 |
行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。 |
「めぐり来て手に取るばかりさやけきや 淡路の島のあはと見し月」 |
「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか」 |
頭中将、 |
頭中将、 |
「浮雲にしばしまがひし月影の すみはつる夜ぞのどけかるべき」 |
「浮雲に少しの間隠れていた月の光も 今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう」 |
左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつましう仕うまつりなれし人なりけり。 |
左大弁、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。 |
「雲の上のすみかを捨てて夜半の月 いづれの谷にかげ隠しけむ」 |
「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう」 |
心々にあまたあめれど、うるさくてなむ。 |
それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。 |
気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて、千年も見聞かまほしき御ありさまなれば、斧の柄も朽ちぬべけれど、今日さへはとて、急ぎ帰りたまふ。 |
親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。 |
物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ち混じりたるも、前栽の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。近衛府の名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「其駒」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。 |
いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の有名な舎人、芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。 |
ののしりて帰らせたまふ響き、大堰にはもの隔てて聞きて、名残さびしう眺めたまふ。「御消息をだにせで」と、大臣も御心にかかれり。 |
大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。 |