玉鬘(たまかづら)あらすじ
乳母の夫が太宰の少弐になった。玉鬘は乳母に伴われて、筑紫に漂泊した。
解任後、幾年も経ない間に、玉鬘の将来を頼んで、少弐は病死した。玉鬘は、十歳ばかりであった。その後約十年、太宰の大夫監が求婚した。少弐の子息達も、大夫監に買収せられた。その間に立って、危難と心痛とに、乳母は悩みぬいた。
乳母は遂に決心して、その子豊後介と娘、即ちもとの「あてき」―今の兵部君と共に、夜逃げをして上洛し、九条辺の旧知の家に寄寓した。
日蔭の花玉鬘は、開運のために、石清水と初瀬とに参詣した。初瀬参詣の際、椿市の宿所で、右近と巡り逢い、すずろに往時を追懐して涙にくれた。
右近は、玉鬘の健在を、源氏に報告した。源氏は驚喜し、玉鬘の事を親めいて考えた。
筑紫生活で、玉鬘は田舎者になってしまったであろうと、源氏は推測しつつ、消息を送った。しかし、意外に田舎じみていない。源氏は安心して六条院に迎えた。
玉鬘の居間も整い女房も選ばれた。豊後介はその家司となって活気も出た。
源氏は、婦人方に正月用の衣裳配りをした。その折の返歌や使者への禄は、末摘花のが非常識であった。源氏は、その歌評をも試みた。それが紫式部の歌論でもある。