第二章 大君の物語 大君、中の君を残して逃れる
7. 翌朝、それぞれの思い
本文 |
現代語訳 |
弁参りて、 |
弁が参って、 |
「いとあやしく、中の宮は、いづくにかおはしますらむ」 |
「ほんとうに不思議に、中の宮は、どこにいらっしゃるのだろう」 |
と言ふを、いと恥づかしく思ひかけぬ御心地に、「いかなりけむことにか」と思ひ臥したまへり。昨日のたまひしことを思し出でて、姫宮をつらしと思ひきこえたまふ。 |
と言うのを、とても恥ずかしく思いがけないお気持ちで、「どうしたことであったのか」と思いながら横になっていらっしゃった。昨日おっしゃったことをお思い出しになって、姫宮をひどい方だとお思い申し上げなさる。 |
明けにける光につきてぞ、壁の中のきりぎりす這ひ出でたまへる。思すらむことのいといとほしければ、かたみにものも言はれたまはず。 |
すっかり明けた光を頼りにして、壁の中のこおろぎすが這い出しなさった。恨んでいらっしゃるだろうことがとてもお気の毒なので、お互いに何もおっしゃれない。 |
「ゆかしげなく、心憂くもあるかな。今より後も、心ゆるびすべくもあらぬ世にこそ」 |
「奥ゆかしげもなく、情けないことだわ。今から後は、油断できないものだわ」 |
と思ひ乱れたまへり。 |
と思い乱れていらっしゃった。 |
弁はあなたに参りて、あさましかりける御心強さを聞きあらはして、「いとあまり深く、人憎かりけること」と、いとほしく思ひほれゐたり。 |
弁はあちらに参って、あきれはてたお気の強さをすっかり聞いて、「まことにあまりにも思慮が深く、かわいげがないこと」と、気の毒に思い呆然としていた。 |
「来し方のつらさは、なほ残りある心地して、よろづに思ひ慰めつるを、今宵なむ、まことに恥づかしく、身も投げつべき心地する。捨てがたく落としおきたてまつりたまへりけむ心苦しさを思ひきこゆる方こそ、また、ひたぶるに、身をもえ思ひ捨つまじけれ。かけかけしき筋は、いづ方にも思ひきこえじ。憂きもつらきも、かたがたに忘られたまふまじくなむ。 |
「今までのつらさは、まだ望みの持てる気がして、いろいろと慰めていたが、昨夜は、ほんとうに恥ずかしく、身を投げてしまいたい気がする。お見捨てがたい気持ちで遺していかれたおいたわしさをお察し申し上げるのは、また、一途に、わが身を捨てることもできません。好色がましい気持ちは、どちらにもお思い申していません。悲しさも苦しさも、それぞれお忘れになられたくなく思います。 |
宮などの、恥づかしげなく聞こえたまふめるを、同じくは心高く、と思ふ方ぞ異にものしたまふらむ、と心得果てつれば、いとことわりに恥づかしくて。また参りて、人びとに見えたてまつらむこともねたくなむ。よし、かくをこがましき身の上、また人にだに漏らしたまふな」 |
宮などが、立派にお手紙を差し上げなさるようですが、同じことなら気位高く、という考えが別におありなのだろう、と納得がいきましたので、まことにごもっともで恥ずかしくて。再び参上して、あなた方にお目にかかることもしゃくでね。よし、このように馬鹿らしい身の上を、また他人にお漏らしなさいますな」 |
と、怨じおきて、例よりも急ぎ出でたまひぬ。「誰が御ためもいとほしく」と、ささめきあへり。 |
と、恨み言をいって、いつもより急いでお出になった。「どなたにとってもお気の毒で」と、ささやき合っていた。 |