第二章 大君の物語 大君、中の君を残して逃れる
8. 薫と大君、和歌を詠み交す
本文 |
現代語訳 |
姫君も、「いかにしつることぞ、もしおろかなる心ものしたまはば」と、胸つぶれて心苦しければ、すべて、うちあはぬ人びとのさかしら、憎しと思す。さまざま思ひたまふに、御文あり。例よりはうれしとおぼえたまふも、かつはあやし。秋のけしきも知らず顔に、青き枝の、片枝いと濃く紅葉ぢたるを、 |
姫君も、「どうしたことだ、もしいい加減な気持ちがおありだったら」と、胸が締めつけられるように苦しいので、何もかも、考えの違う女房のおせっかいを、憎らしいとお思いになる。いろいろとお考えになっているところに、お手紙がある。いつもより嬉しく思われなさるのも、一方ではおかしなことである。秋の様子も知らないふりして、青い枝で、片一方はたいそう色濃く紅葉したのを、 |
「おなじ枝を分きて染めける山姫に いづれか深き色と問はばや」 |
「同じ枝を分けて染めた山姫を どちらが深い色と尋ねましょうか」 |
さばかり怨みつるけしきも、言少なにことそぎて、おし包みたまへるを、「そこはかとなくもてなしてやみなむとなめり」と見たまふも、心騷ぎて見る。 |
あれほど恨んでいた様子も、言葉少なく簡略にして、包んでいらっしゃるが、「何ともなしにうやむやにして済ますようだ」と御覧になるのも、心騷ぎして見る。 |
かしかましく、「御返り」と言へば、「聞こえたまへ」と譲らむも、うたておぼえて、さすがに書きにくく思ひ乱れたまふ。 |
やかましく、「お返事を」と言うので、「差し上げなさい」と譲るのも、嫌な気がして、そうは言え書きにくく思い乱れなさる。 |
「山姫の染むる心はわかねども 移ろふ方や深きなるらむ」 |
「山姫が染め分ける心はわかりませんが 色変わりしたほうに深い思いを寄せているのでしょう」 |
ことなしびに書きたまへるが、をかしく見えければ、なほえ怨じ果つまじくおぼゆ。 |
さりげなくお書きになっていたが、おもしろく見えたので、やはり恨みきれず思われる。 |
「身を分けてなど、譲りたまふけしきは、たびたび見えしかど、うけひかぬにわびて構へたまへるなめり。そのかひなく、かくつれなからむもいとほしく、情けなきものに思ひおかれて、いよいよはじめの思ひかなひがたくやあらむ。 |
「身を分けてなどと、お譲りになる様子は、度々見えたが、承知しないのに困って企てなさったようだ。その効もなく、このように何の変化ないのもお気の毒で、情けない人と思われて、ますます当初からの思いがかないがたいだろう。 |
とかく言ひ伝へなどすめる老い人の思はむところも軽々しく、とにかくに心を染めけむだに悔しく、かばかりの世の中を思ひ捨てむの心に、みづからもかなはざりけりと、人悪ろく思ひ知らるるを、まして、おしなべたる好き者のまねに、同じあたり返すがへす漕ぎめぐらむ、いと人笑へなる棚無し小舟めきたるべし」 |
あれこれと仲立ちなどするような老女が思うところも軽々しく、結局のところ思慕したことさえ後悔され、このような世の中を思い捨てようとの考えに、自分自身もかなわなかったことよと、体裁悪く思い知られるのに、それ以上に、世間にありふれた好色者の真似して、同じ人を繰り返し付きまとわるのも、まことに物笑いな棚無し小舟みたいだろう」 |
など、夜もすがら思ひ明かしたまひて、まだ有明の空もをかしきほどに、兵部卿宮の御方に参りたまふ。 |
などと、一晩中思いながら夜を明かしなさって、まだ有明の空も風情あるころに、兵部卿宮のお邸にご参上なさる。 |