82. 頭の中将の、すずろなるそら言を |
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本文 | 現代語訳 |
頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて、いみじういひおとし、「何しに人とほめけん」など、殿上にていみじうなんのたまふ、と聞くにもはづかしけれど、まことならばこそあらめ、おのづから聞きなほし給ひてんとわらひてあるに、黒戸の前などわたるにも、馨(こゑ)などするをりは、袖をふたぎてつゆ見おこせず、いみじうにくみ給へば、ともかうもいはず、見も入れですぐすに、二月つごもりがた、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌にこもりて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。物やいひやらまし』となんのたまふ」と、人々語れど、「よにあらじ」などいらへてあるに、日一日下に居くらして、まゐりたれば、夜のおとどに入らせ給ひにけり。 | 藤原斉信殿が、私に関する他愛もないうわさを聞いて、ひどく(私のことを)けなし、「どうして人並に褒めたのだろう。」などと殿上の間でひどく悪く言われると恥ずかしいけれども、噂が事実ならともかく(嘘なのだから)、そのうち誤解は解かれるにだろうと笑い過ごしていると、(斉信殿が)黒戸の前を通る時にも、声などするときは、袖で顔をふさいで全然こちらに目を向けず、大層憎みなさるので、何とも言えず、見入りもせず過ごしている、二月終わりごろ、たいそう雨が降って物思いに浸っていると、物忌みにこもって、「『やはりどうも物足りないな。何か言ってやろうか。』のようにおっしゃる」と、他の女房達は言うけれど、「まさかそんなこと」などと答えているので、終日自分の局に居て、夜、中宮の側にあがると、もう御寝所に入ってしまわれていた。 |
長押(なげし)の下に火ちかくとりよせて、さしつどひて扁(へん)をぞつく。「あなうれし。とくおはせ」など、見つけていへど、すさまじき心地して、なにしにのぼりつらんと覺(おぼ)ゆ。炭櫃(すびつ)のもとにゐたれば、そこにまたあまたゐて、物などいふに、「なにがしさぶらふ」と、いとはなやかにいふ。「あやし、いづれのまに、何事のあるぞ」と問はすれば、主殿司(とのもりづかさ)なりけり。「ただここもとに、人傅(づて)ならで申すべき事」などいへば、さし出でて問ふに、「これ、頭の殿の奉らせ給ふ。御返りごととく」といふ。 | 下長押の下に、(宿直の女房達が)灯(あかり)を近くに引き寄せて、あたりに集まって、扁つきをする。「ああうれしい。早くいらっしゃい」などと(女房達が私を)見つけて言うけれど、つまらない気がして、どうして(下長押に)上るであろうかと思う。炭櫃の近くに座っていると、そこに女房達が大勢来て座って、おしゃべりなどすると、「誰それ(清少納言殿)はいらっしゃるか」と、たいそう陽気に言う。「妙だ。いつの間にか何かあったのか。」と侍女に尋ねさせると主殿司であった。「ただ直接御本人(清少納言)に、人を介せず申し上げたい。」などと言うので、にじり出て訊く(きく)と、「これは斉信殿に託されたものです。すぐにお返事をください。」という。 |
いみじくにくみ給ふに、いかなる文ならんと思へど、ただ今いそぎ見るべきにもあらねば、「往ね。いまきこえん」とて、ふところにひき入れて入りぬ。なほ人の物いふ聞きなどする、すなはちたち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文を賜はりて来』となん仰せらるる。とくとく」といふが、あやしう、いせの物語なりやとて見れば、青き薄様に、いときよげに書き給へり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。 | 大層憎みなさっているので、どんな手紙をよこしたのだろうと思ったけれども、今急いで見るべきものでもないので、「お帰りなさいませ。すぐにお返事しましょう。」と言って、懐にしまって、局に下がった。なお女房達が噂話をしていると、(主殿司が)即座に帰ってきて、「『それならば、先刻のあのお手紙を頂いて来い。』と、おっしゃられました。早く早く」と言うが、不思議に、伊勢物語のようだと思って見ると、青い薄様の紙に、小ぎれいにお書きになっていた。(どんな文かしらと)期待に胸がときめいたがそれ程のこともなかった。 |
蘭省花時錦帳下 | 蘭省ノ花ノ時錦帳ノ下 |
と書きて、「末はいかに、いかに」とあるを、いかにかはすべからん、御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を知り顔に、たどたどしき眞名(まんな)に書きたらんも、いと見ぐるしと、思ひまはす程もなく、責めまどはせば、ただその奥に、炭櫃(すびつ)に消えたる炭のあるして、 | と書いて、「末の句はどうか、どうか。」とあるのを、どうしたらよいものか。中宮様がいらっしゃったなら、御覧に入れることができるものなのだが。もし、この末の句を知っていますよ、とばかりにおぼつかない漢字で書くというのも、大変みっともないなと、思いを巡らす暇もなく、主殿司がしきりにせき立てるので、その手紙の奥の余白に、炭櫃に消えている炭を使って、 |
草のいほりをたれかたづねん | 草のいほりを誰が訪ねるだろうか。 |
と書きつけて、とらせつれど、また返りごともいはず。 | と、書いて、主殿司に渡したが、再び返事もよこさない。 |
みな寝て、つとめて、いととく局に下りたれば、源中将の声にて、「ここに草の庵やある」と、おどろおどろしくいへば、「あやし。などてか、人げなきものはあらん。玉の臺(うてな)ともとめ給はましかば、いらへてまし」といふ。「あなうれし。下にありけるよ。上にたづねんとしつるを」とて、よべありしやう、「頭の中将の宿直所に、すこし人々しきかぎり、六位まであつまりて、よろづの人の上、昔今と語り出でていひしついでに、『なほこの者、むげに絶えはてて後こそ、さすがにえあらね。もしいひ出づることもやと待てど、いささかなにとも思ひたらづ、つれなきもいとねたきを、今宵あしともよしともさだめきりてやみなんかし。』とて、みないひあわせたりしことを、『ただ今は見るまじとて入りぬ』と、主殿司がいひしかば、また追ひ返して、『ただ、袖をとらへて、東西せさせず乞ひとりて、持て来。さらずは、文を返しとれ』といましめて、さばかり降る雨のさかりにやりたるに、いととく帰りきたりき。『これ』とて、さし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるかとて、うち見たるにあはせてをめけば、『あやし。いかなることぞ』と、みな寄りて見るに、『いみじき盗人を。なほえこそ捨つまじけれ』とて見さわぎて、『これが本つけてやらん。源中将つけよ』など、夜ふくるまでつけわづらひてやみにしことは、行く先も、かならづかたり伝ふべきことなり、などなん、みな定めし」など、いみじうかたはらいたきまでいひ聞かせて、「御名をば、今は草の庵となんつけたる」とて、いそぎ立ち給ひぬれば、「いとわろき名の末の世まであらんこそ、くちをしかなれ」といふほどに、修理の亮則光、「いみじきよろこび申しになむ、上にやとてまゐりたりつる」といへば、「なんぞ。司召(つかさめし)なども聞えぬを、何になり給へるぞ」と問へば、「いな、まことにいみじう嬉しきことの、よべ侍りしを、心もとなく思ひ明かしてなん。かばかり面目なることなかりき」とて、はじめありけることども、中将の語り給ひつる、おなじことをいひて、「ただ、この返りごとにしたがひて、こかけをしふみし、すべて、さる者ありきとだに思はじ」と。頭の中将ののたまへば、あるかぎりかうようしてやり給ひしに、ただに来たりしは、なかなかよかりき。持て来たりしたびは、いかならんと胸つぶれて、まことにわろからんは、せうとのためにもわるかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人のほめ感じて、「せうと、こち来。これ聞け」とのたまひしかば、下心地はいとうれしけれど、「さやうの方に、さらにえさぶらふまじき身になん」と申ししかば、「言くはへよ、聞き知れとにはあらず。ただ、人に語れとて聞かするぞ」とのたまひしなん、すこしくちをしきせうとのおぼえに侍りしかども、本つけこころみるに、いふべきやうなし。「ことに、また、これが返しをやすべき」などいひあはせ、「わるしといはれては、なかなかねたかるべし」とて、夜中までおはせし。「これは、身のためも人の御ためも、よろこびには侍らずや。司召に少々の司得て侍らんは、何ともおぼゆまじくなん」といへば、げにあまたして、さることあらんとも知らで、ねたうもあるべかりけるかなと、これになん、胸つぶれて覚えし。このいもうと、せうとといふことは、上までみな知ろしめし、殿上にも、司の名をばいはで、せうととぞつけられたる。 | みな寝て、翌朝、たいそう急いで局に下りていくと、源竃方殿の声で「もし、草の庵はいらっしゃいますか」と、仰々しく言うので、「おかしい。どうしてそんな人並でないものがおりましょう。金殿玉楼と、求めてきたのだから、返事をくれてもよいのに。」と、言う。「ああうれしい。局にいたな。御前で探そうとしたのだが。」と言って、昨夜起った事柄を(語り始める)、「斉信殿の(宮中における)宿直室に、多少人並な人ばかり、六位の蔵人まで集まって、各々の人の身の上、昔今と話し出して言うついでに『やはりあの女、全く絶交して後は、よけいにどうもほうっておけない。もしや言い出すこともあるかも、と待てども、少しも何とも思っておらず、平気でいるのも癪(しゃく)なので、今夜という今夜は、良くも悪くもどちらかに決めてしまいたいものだ。』と言って、皆で相談したあの手紙を、『今すぐ見るつもりはない。と言って下がってしまった』と、主殿司が言ったので、また追い返して『ただ、袖をつかんで、有無をいわさず返事をもらって、持って来い。できなければ、手紙を返しとれ』と、戒めて、たいそう降る雨の盛りに使いにやるのに、たいそう早く帰ってきた。『これです』と言って差し出したが、先ほどの手紙だったので、返してきたかと思って、ちらと見ると同時に頭中将は『あっ』と声をあげたので『妙だ。どういうことだ』みんなが寄って見て、『これは大した曲者だ。やはり見捨てられない。』と、見さわぎして、『この上の句をつけてやろう。竈方殿つけろ』と言ったが、夜更けまでよい句がつけられず、結局つけずにすんでしまったことは、将来の語り草になることだ、などと、みなで議論した。」などと、たいそう決まりが悪いことまで言い聞かせて、「(清少納言殿の)あだ名を今は草の庵とつけてしまった」と言って、急ぎお立ちになると「そんな体裁悪い名が末代まで伝わるなんて残念というものですわ。」と、言うと、修理亮(修理職の次官)の橘則光は、「すばらしい任官のお礼ですな。上に取り次いでおきましょう。」と言えば、(私は、)「何を。官吏の任免などでもないのに、何になりましょうか。」と、訊けば、「いや、誠にたいそう嬉しいことに、昨夜お仕えしたのだが、待ち遠しい思いで夜を明かしたのだ。これ程面目を施したことはなかった。」と言って、初めにあったことなど、源中将(竃方)が話されたのと同様のことを言って、「ただ、このお返事に従って、すべてそんな人間がこの世にいたとさえ思うまい。」と、斉信殿がおっしゃると、居合せた人が皆で考えて使いにやったのに、使いが素手で帰って来たのは却ってよかった。二度目に持って来た時は。どんな返事かと胸がどきりとして、本当にわるくないのは、則光殿のためにも悪くあって欲しくはないものだと思っているが、並々どころではない、多くの人が感心して、「則光殿、こちらへ来い。これを聞け」と、おっしゃられると、内心はたいそう嬉しかったけれど、「さようの(文学の)方面には、一向お相手仕れそうにない身でして…。」と申し上げたのだが、「批評せよ、理解せよというのではない。人に語れと言っているのだ。」と言われた、これはあなたの兄として少々遺憾な思われ方ではあったけれども一同、上の句をつけてみるが、適当な表現がない。「ではこれとは別に返事をするものだろうか。」などと相談し、「つまらぬ返事といわれては却って癪だろう。」と言って、夜中までいらっしゃる。「これは私のためにもあなたのためにも、喜ばしいことではありませんか。司召に少しばかりの官職を得たくらいでは、何とも思われそうにありませんよ。」と、言うと、成程大勢でそんな計画をしていようとも知らずに、何とまあ癪なことだったのだろう。これではじめて胸がどきりとしたのだった。自分と則光とを兄妹と呼ぶことは、主上までも皆御存知で、修理亮という官名で呼ばないで「せうと」と名付けられている。 |
物語などしてゐたる程に、「まづ」と召したれば、まゐりたるに、此のことおほせられんとなりけり。上わたらせ給ひて、語り聞えさせ給ひて、をのこどもみな、扇に書きつけてなむ持たる、など仰せらるるにこそ、あさましく、何のいはせけるにかとおぼえしか。 | 則光と四方山話をしている時に「ちょと」と(中宮が)お呼びになったので、行ってみると、このことをおっしゃたのであった。主上が中宮の所においでになって、この一件をお話しになって、 殿上人達は皆あの句を扇に書きつけて持っていることなど、中宮がおっしゃることこそ、驚いた、何だってそんなことを言い触らさせたのかしら、と思い起こされる。 |
さてのちぞ、袖の几帳などとり捨てて、思ひなほり給ふめりし。 | さてその後、斉信殿は袖で顔をふさぐのをやめ、誤解は解かれたようだった。 |
斉信との交渉を語る。 1 頭の中将…藤原斉信(ただのぶ)。太政大臣為光の二男。永祚元年(九八九)右中将。正暦五年(九九四)蔵人頭。長徳二年(九九六)参議。後大納言に至る。四納言の一人に数えられ才学の誉れが高い。 5 長押…母屋と廂との間の下長押。その下は廂の間で一段低くなっている。 7 扁(へん)をぞつく…扁(へん)つぎ(扁つきともいう)。漢字の扁を出して旁(つくり)を当てさせる遊戯。旁を出して扁を当てさせるともいう。 9 「なにがしさぶらふ」…参上の際の挨拶。「なにがし」は誰それ。 11 いせの物語…未詳。春曙抄は、伊勢物語、八十四段「しはすばかりにとみのこととて御文あり」により、急用の意と解する。 12 蘭省花時錦帳下…白氏文集、十七「廬山草堂雨夜独宿云々」の詩句。 15 玉の臺…「草の庵」に対し金殿玉楼の意。拾遺集、二夏、読人しらず「けふみれば玉の台もなかりけりあやめの草の庵のみして」。 16 頭の中将の宿直所…以下「みなさだめし」まで、宜方が語る昨夜の事件の内容。 17 修理の亮則光…橘則光。長徳二年(九九六)修理亮(修理職の次官)となる。 18 司召…秋行われる京官の除目を司召といい、春の県召に対するが、また一般に除目のことをもいう。ここは後者。官吏の任免。。 |
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